BBS2 2007/09 過去ログ



千代に八千代に
信定 9/27(木) 09:22:14 No.20070927092214 削除
第十八章

 数日後、庄次郎はここを出て行くことを告げた。
と言っても宛があるわけではない。
見ず知らずの薄汚れた半死半生の浮浪人の自分に、これほど手篤い施しをごく普通に、
しかも客人のように接してくれた恩は計り知れない。
朝鮮人であると告げたにもかかわらずだ。
せっかくうち解けた千代と別れるのは寂しいが、これ以上甘えるわけにはいかない。
彼らは身の上については多くは語らない。
千代の両親は既に他界していることは聞いたが、三人の関係は不明だ。
肉親関係とは思えないし、縁者の可能性も低い。
興味は尽きないが庄次郎からは敢えて聞くつもりはなかった。
でも本当は千代のことをもっと知りたかった。

「んですか。んなしゃあないですな」
庄次郎の決意の表情を見てとった堀田が、ちらっとババ様を見る。
ババ様はいつものように、口元にやわらかな笑みをたたえた穏やかな顔で、体ごと大きく頷いた。
堀田は唇を真一文字にして、続いて千代を見た。
背筋を伸ばして正座している微動だにしない千代は、わずかにうつむいて畳に視線を向けていた。
その表情からは何を思っているのかは分からなかった。
そして堀田は意を決したように、自分自身に小さく頷いてから口を開いた。
「櫻井さんに折り入って、なんちゅうか、お願いがあります」
堀田の改まった言い方に庄次郎は姿勢を正した。
「はい、何なりとお申し付けください」
むしろこちらからお願いしようと思っていたことだ。
こちらから申し出てもやんわりと断られるのではないかと思っていたので、どう言うべきか迷っていたところだ。
庄次郎は正直安堵した。
どんなことでも申し受け、それを成し遂げたい。
堀田はもう一度小さく頷き、正座している右足を少し前にずらし、スッと息を吸い込んだ。

「千代のことですが・・・・・・」
いきなり千代の名が出てきてドキッとした。
庄次郎はババ様の横に正座している千代をチラッと見た。
「はあ、千代さんの・・・・・・」
同じ姿勢のまま畳を見つめていた切れ長の目が一度だけ小さく瞬いた。
化粧などしていないのに薄紅を引いたような、ほんの少しピクリと動いた桃色の唇を見て心が揺れた。
今日は格別美しい。

「どう思っておますか?」
「は?どうって、何を、でしょう?」
少し声が震えた。
「千代のことでござる」
堀田はキッパリと言い切った。
庄次郎は戸惑いの表情を見せる。
「ち、千代さんの・・・・・・それは、大変良くしていただいて、私の命の恩人・・・・・・」
「櫻井さん、好いておまへんやろか、千代を」
堀田から千代に狼狽えながら視線を移し、「そ、それはもちろん、好いて・・・・・・何としてもご恩は・・・・・・」
と、口の中でもごもごと言った。

「好いておましたら、千代を嫁にもろうてはくれませんか」
堀田は間髪を容れずそう言った。
「は?・・・・・・」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
呆けた顔を見せていたが、言われた意味が分かったとき体が半分伸び上がった。
「ええっ、私が・・・・・・そんな、どうして・・・・・・」
千代を見ると、先ほどよりもうつむきながら少し目を細めていた。
桃色に染まっている千代の頬を見て心臓が激しく鼓動した。
「その、千代さんの、あれも、聞かないで、そんなことは・・・・・・」
庄次郎はしどろもどろであった。
「千代も願うておます」
ババ様がしゃがれた声で断言するかのように言った。
庄次郎はえっと言って、息を呑んだ。

「たのんます」
ババ様と堀田が頭を下げる。
同時に千代も小さく頭を下げたので、庄次郎は驚いた。
「ちょ、ちょっと待って下さい。年も三十を半ばも過ぎていますし、釣り合わんし、それに、私は朝鮮・・・・・・」
「重々、分かっとります」
「で、でしたら、こんな・・・・・・どう考えても・・・・・・」
「嫌いでおますか、千代のことを」
穏やかな声でババ様は遮る。

 庄次郎は目を見開き生唾を呑み込み、千代をチラッと見た。
「私は・・・・・・す、好いてます」
カッと顔が火照るのを感じた。
「ありがたいことじゃ、のう千代」
ババ様はウンウンと頷き掌を擦っている。
「千代を嫁にもろてくれますか?庄次郎さん」
堀田は庄次郎の名を言い、哀願とも見えるまなざしで見つめた。

「そ、それは、願ってもない、ことです」
堀田の真摯な視線を受け、庄次郎は仰け反るようにしてそう言った。
「ほうですか、それはありがたいこと」
頭を下げた堀田はチラッと千代を見る。
「千代も櫻井さんのことは好いておます」
そう言って堀田は安堵の表情を千代に向け、ババ様に向けた。
「おうおう、それはいかったのう。礼儀作法は教えたつもりやに、おまんさんには恥かかせんよってな。このとおり」
ババ様は小さい体をもっと小さく丸めて頭を下げた。
庄次郎はやや仰け反ったまま、頭を下げるババ様に掌を見せるが、声は出なかった。
知らない間に自分の意図しないことが進行している。
すぐに意図しすぎたことだと気付き、口の中がカラカラになった。

 初めて千代は顔を上げた。
白い頬がうっすらと上気している。
「宜しくお願いいたします」
と、千代はしっかりと庄次郎を見てから、両手を揃え畳に押し当てた。
シーンと静まりかえった部屋で唯一聞こえる音は、千代の黒髪が畳を擦る音であった。

 そんな千代と庄次郎を見て、顔をクシャクシャにしていたババ様は、少しだけ視線を落として呟いた。
「ここにおっても、どむならんしの」





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千代に八千代に
信定 9/25(火) 12:58:26 No.20070925125826 削除
第十七章

 女の名は藤村千代という。年は十九。男の名は堀田。
年格好から堀田は千代の父親かと思ったが、そうではないらしい。
二人がババ様と呼ぶ老婆の名は分からない。
人里離れた屋敷には、この三人のみで生活しているようだ。
家の掃除や炊事洗濯、庭の掃除や手入れ、山に入り山菜などを採ってくるのが日課らしい。
夕方になると堀田と千代が出かけて行き、夜半に帰ってくる。
朝方に帰宅することもあった。
食料や生活品などを調達しに行くらしい。
庄次郎が朝目を覚ますと、もう千代は食事の支度を済ませているのである。
いったい二人はいつ寝ているのだろう。

 起き上がれるようになった庄次郎は礼を言い、今までの経緯を包み隠さず話した。
母の悲劇の話を聞いているとき、千代は涙ぐんでいた。
自分が朝鮮人であることを告げたときも、三人は驚きの表情一つ見せず耳を傾けていた。
「でえら大変でしたのぉ」
庄次郎より一回り体の大きな堀田が優しい目で言った。
ババ様もうんうんと頷いている。

 夕刻、頭に包帯を巻いた庄次郎は、縁側に座って掃き清められた庭を眺めていた。
何気に振り向くと、やや後ろの方で千代が正座していた。
「驚かせてすみません」
千代は少しはにかんだような笑顔を見せる。
「お体の方はいかがですか?」
全く人の気配を感じなかったので少し驚いたが、今に始まったことではない。
ここの人たちは部屋の中を静かに歩く。
ここでの作法の一つなのかもしれない。
更に千代は書道や茶道、華道に精通している。
師範級の腕前に違いないと庄次郎は睨んでいる。
しずしずと歩く姿は全てそれらの作法にのっとっているのかもしれない。
ババ様と千代が長時間奥の部屋に引きこもっているときがある。
作法の手ほどきなどを受けているのだろう。

「ええ、もうだいぶ良くなっています。本当にありがとうごさいました」
やはり雰囲気がどことなく母に似ている。
「それはようございました。いつまででもゆっくりしていってください」
鈴の音のような千代の声を聞くのが庄次郎の密かな楽しみでもあった。
だが眩しすぎてまともに顔を見ることができない。
「あの、私を助けて下さったのは・・・・・・」
今まで聞けなかったことである。
「小枝を拾っていますと沼に人影を見ました。ここから少し離れたところにある名もない小さな沼です。
とても深くて、でも底にすぐ手の届きそうなくらい水が透き通っている綺麗な沼です。
沼の淵で庄次郎さんが折れた木に寄りかかるようにして倒れていました。
体が冷え切っていましたが、息があることが分かり、慌ててここまでお連れしました」
詩のような千代の話に、うっとりと耳を傾けていた。
自分の名を呼んでくれることが嬉しい。
「そうでしたか、それは大変ご迷惑を・・・・・・あの、一人で、ですか?」
庄次郎はふと気付いた。
「ええ、私一人でした」

 庄次郎はえっと声をあげ振り向くと、背筋を伸ばし正座している千代は、
口元に少し笑みを浮かべ、庄次郎を見つめていた。
真っ直ぐ伸びた漆黒の髪が肩の所で切りそろえられている。
サラサラした髪が額の中央から分かれていて、見たこともない髪型であった。
だが、とても似合っている。
西洋風の髪型かもしれない。
やや首をかしげ微笑む千代は、それは眩しいほど美しかった。
まともに千代の顔を見て庄次郎は慌てて目をそらした。
「あの、ち、千代さんが一人で私を・・・・・・」
一度で良いから名を呼んでみたかった。
言ってしまってから耳に熱を帯びるのが分かった。

 そして千代は頷いた。少しはにかみながら。
驚きと同時に、庄次郎の耳たぶがカッと火照った。
やや小柄なほっそりとした女の体で、意識のない庄次郎をここまで背負って運んでくれたのか。
「そ、それは大変だったでしょう。本当にご迷惑をおかけしました」
庄次郎は情けないら恥ずかしいやらで何度も頭を下げた。
「これでも私、力はあるんです。少し重かったですけど」
そう言ってのけ、手を口元に添え、艶然とほほえんだ。
とすると庄次郎を裸にして寝間着を着せたのは、やはり千代。
庄次郎の頬までも熱を帯びた。

 その三日後、庄次郎の体力は快復した。
今日一日、千代や堀田の仕事を手伝った。
全快していないので半日ほどだったが、やはり汗を流して仕事をするのは気持ちが良い。
それにしても千代はよく働く。
殆ど働き詰めと言っていい。
疲れの表情すら見せない。
この小さな体の中にどれほどの体力が詰まっているのか。

 夜中に小便をもよおし厠から出てきたとき、人の気配を感じた。
千代と堀田が夕方から出かけたことは知ってた。
その二人が今、帰ってきたのだ。
堀田は千代を抱きかかえるようにして帰ってきたのである。
どこへ何しに行っていたのかは分からないが、千代は疲れた表情を見せていた。
庄次郎は思わず身を潜めていた。



悪夢 その79
ハジ 9/23(日) 21:13:08 No.20070923211308 削除

「秋穂さんは命令されているんですよ」
「―――命令?」
「彼女のからだの所有者に命じられているのです。我らといっしょにレイプされた映像を観るようにと」

 上半身が揺らぐのを感じた私は折れそうになる膝に手を添え、懸命にそれに耐えました。

「命じるって―――誰が?なんのために……」

 小さな声でありながら、私は今にも叫び出しそうでした。したり顔で話す目の前の男の首を絞めてやりたい。
 羽生は癖なのか、何度も上唇を舌で湿らせます。

「誰がやらせているのか―――それはわかりません。しかし、―――」

 羽生は思案する顔つきで、瞳を上辺に寄せました。

「もしやとは思うのですが―――浩志くんはその相手のことを知っているのではないかと」
「なん―――だって……」

 絶句する私を尻目に羽生はつづけます。

「少なくとも、そういう存在があることに感づいている可能性はある。そうすれば、今回の彼の暴走にも一応の筋が通る」

 秋穂のカラダに性の快感を植えつけた男―――その存在を知った息子が、それを私に対する妻の裏切りだと憤ったということでしょうか。
 あるいは自分の―――息子自身の想いに応えてくれない彼女が他の男に走ったことがさらなる憎しみを募らせることになったのでしょうか。

「裏切り―――あの年ごろの子はとかく物事を難しく複雑に考えようとしますが、実は問題の根っこは単純な場合が多い。そうではありませんか、先生」

 羽生の問いに、私は返す言葉がみつかりませんでした。



 足もとをふらつかせながら、少年たちが秋穂から離れていきます。
 カメラの前を横切って、あるいは視界を塞がないようにいづれもフレームの外に消えていきました。声だけが聞こえてきます。

「おい、あいつ……一体何回目だよ」

 それにつづいて哄笑が起こりました。

「仕方ないよ。あいつ、おぼえたてだしな」
「サルだよ、サル」

 彼らが指しているのは、仲間のひとりで、いまもなお、妻のからだにのしかかっています。秋穂は尻の割れ目がみえるほど、脚を持ち上げられたうえで、膝を窮屈に折り曲げられています。その状態の彼女の上に男の臀部が乗っかっているのです。
 少年のせわしない動きに妻の体はほとんど反応を示さず、首だけがガクガクと揺れています。意識がないのかもしれません。

「バカだなあ。焦らなくても、こんな機会何度でもあるのに」
「なんだよ、機会って」

 間の抜けた質問を笑うように、シャックは鼻を鳴らしました。

「考えろって。なんのために撮影してんだよ」

 画面が軽くブレました。おそらくカメラに手でも置いたのでしょう。

「おお―――そういうことか」

 得心がいったのか、仲間の声が弾みました。

「この絵があれば、たしかに―――」
「そう、浩志もママも言いなりだよ。好きなときにいつでも呼び出して、やれんぜ」

 姿こそみえませんが、シャックの得意顔が浮かびます。残酷な内容を平坦な口調でつづけます。

「こっちから学校に乗り込むのもいいな。教室でしゃぶらせるか―――」
「教壇に手をつかせて、後ろからバンバン決めるのも面白くない?」

少年たちの欲望はそのまま横たわる彼女の身にふりかかることです。もちろん、妻の同意など得られるはずはありませんが。

「皆でいっしょに―――っていうのも悪くはないんだけど、やっぱり、ひとりでゆっくり楽しみたいよな。順番決めて、一晩そいつの貸切りってのはどうよ?」

 秋穂のなかに分身を押し込んでいた少年が情けない声をあげて、背をそらしました。



由愛 4
薄味チップス 9/22(土) 23:37:18 No.20070922233718 削除
 あれだけの恥辱を受けたことはもちろんのこと、他人に転がされるように足蹴にされたこともない。
御台達から解放された由愛は、悔しさとも惨めさともとれる表情でエレベーターに乗っていた。
目先の恐怖に脅え、さらなる脅迫の種を作らせてしまったのは自分。
その表情には悔しさや惨めさの他に、自分の愚かさを責める表情が混じっていたのかもしれない。
「大奥なんて・・大奥なんて・・・・・」
逃げ出したい。大奥なんて潰れてしまえばいい。
そう思いながらも自分で何が出来、何をやったらいいのかさえもわからなかった。
もし、自分に出来ることがあり、それで大奥を壊すことが出来るなら由愛はどんなことでもやるだろう。
ただその術を知らないのだ。
 今日、由愛の身に起こった恥辱の数々。
その一つ一つを思い出すたびに身体が震えてくる。
しかし、そんな恥辱を思い返している中で由愛はあることを思い出す。
それは団地に住む妻達から投げられた紙飛行機でのことだ。
ほとんどの人間がにやけた口元を見せていた中で、由愛に対し申し訳なさそうな顔を見せながら由愛と視線を合わせようとしなかった者がいた。
「やっぱり大奥を良く思ってない人もいるはず・・・」
大奥のことを未だ何も知らない由愛は、そんな人たちから情報を貰い、協力して貰えないかと考えたのだ。
もちろんその理由ははっきりしている。
”大奥を潰せないか?”ということだ。

 大奥を潰すことは出来ないのか? そう考えた由愛の行動は早かった。
御台達から解放されたばかりのその足で、自分と同じように大奥を良く思っていないまま、脅迫に負け従っているだろう人妻の元に向かう。
一瞬しか見てなかった由愛だったが、その自分物はすぐに思い出せた。
何故ならそれは由愛の隣人。
引っ越してきたばかりの挨拶の時、隣だからということもあり、その顔をしっかりと覚えていた。

ピンポーン・・
「はい。どちら様ですか?」
インターフォンを押した由愛に、その声はドアを閉めたままの状態で聞こえてくる。
「川原木です。隣の川原木です」
「・・・・」
先ほどのこともあり、隣人はバツの悪そうな顔でもしているのだろうか?
由愛の声と名前を聞くと返事を返してこないのだ。
「望月さん。お話したいことが・・」
望月。それは由愛の隣人の苗字である。
さすがに名前までは覚えていなかった由愛ではあるが、望月という苗字だけは忘れていない。
「お話・・・? なんでしょう?」
望月は相変わらずドアを開けようともしなかった。
「大奥のことです」
「!?」
その言葉に対しどんな表情を見せたのか由愛には見ることが出来ない。
「望月さん大奥のこと・・痛っっ」
由愛がそこまで言うとドアは勢い良く開けられた。ドアのすぐ近くに立っていた由愛にそれが衝突するほどに。
しかし望月はそれに謝ることもなく、すぐに手で由愛の口を覆う。
「川原木さん! 今何を言おうとしたの!」
それは大声ではない。極々小さく、すぐ目の前の由愛にさえやっと聞こえるほどのものだった。
「うごぅ ごぉっ」
口を押さえられているままの由愛は、当然言いたいことなど言葉に出来るはずもない。
望月はドアから顔を出し、廊下の左右を確認すると由愛の腕を引っ張り家の中に連れ込む。
そして再度ドアを閉めると鍵をしっかりとかけるのだ。由愛の口が開放されたのはその後のことである。

 望月多香子は40台半ば。若くグラマラスな由愛と対照的に望月は、長身で細くくびれたウエストを持つモデルのような女だった。
由愛が男達から性的欲望の眼差しを向けらられるのに対し、多香子は女達から羨望と嫉妬の眼差しを向けられることだろう。
それほど多香子のスタイルは女達から見れば理想そのものであり、年齢を重ねてもこうでありたいと思うほどなのだ。

 リビングに通された由愛はまず何から聞いていいのか頭の中で整理していく。
まず知らなければならないこと。
「望月さん。大奥っていったい何なんですか? 何をする集まりなんですか?」
それは由愛にとって一番重要で、最大の疑問と言っていいだろう。
廊下での立ち話と違い、家の中であれば危険は少ないと感じたのか多香子も由愛の問いに答えていく。
「大奥というのは元々は1人の女性が作ったものなの」
「1人の女性が? それは御台ですか?」
その由愛の言葉に多香子が自分の口元で人差し指を立てる。
「どんな場所でも御台なんて呼んじゃだめ。そんな癖がついたら由愛さん自身が辛い目に合うわよ?」
由愛はそんな多香子の言葉に素直に従って言葉を言い直した。
「それは御台様が?」
「それは違うのよ」
由愛にとってその言葉は意外なものであった。
由愛の中では御台を頂点にしたピラミッドの構図を思い浮かべていたからだ。
「それはどんな人なんですか?」
「わからないの・・。今も大奥にいるのか、もう居ないのかさえも・・」

 大奥を作り上げた女の話は、この団地内では都市伝説級の話らしい。
そんな女なのか? それがわからぬまま、大奥の成り立ちだけはしっかりと伝えられている。
「その人はこの団地に住んでいたわ。今から20年ほど前のことらしいわ」
まずその一言でわかったこと。それは大奥は今から20年以内に出来たものということだ。
「その人も、今の川原木さんと同じように新婚でこの団地に越して来たの。
 でもその人にはすぐに愛人が出来た・・」
由愛には信じられなかった。
幸せな新婚生活を夢見ている由愛には、夫以外の男とそのような関係になるなど想像もしたくない。
「その愛人はとても変態的な男だった・・人妻を抱きたい・・多くの人妻を自分の物にしたい。
 その人は愛人の身体に溺れて、嫌われたくない一心でその男の欲望を叶えようとしたの。
 弱みを握って脅して・・それが1人また1人と増えていって今の大奥が出来たのよ」
信じられないものだった。
これほど大きく、そして狂気に満ちた大奥をたった1人の女が愛人の欲望を叶えるためだけに作ったのだ。
「その人はどこにいるか分からないって言ってましたけど、愛人の男性というのは今どこに?」
「いるわよ。川原木さんもいずれ会うことになると思うわ」
「・・・? そう言えば・・」
由愛は多香子の最初の言葉で疑問に思ったことが引っかかった。
「元々はって言ってましたよね? 今は違うんですか?」
「今はもう変わってきてるの。その人がどこに消えたかもわからない今、御台様が大奥を取り仕切っているわ。
 御台様はその人とは違った・・・。
 大奥を作ったその人は1人の愛人の身体に溺れたけど、御台様は巨大になった大奥のトップという権力に溺れたの」
今現在、この悪鬼の大奥を取り仕切っているのは御台だということは由愛にもわかった。しかし聞きたいことはそこではない。
「今の大奥は何をする集まりなんですか?」
先を急ごうとする由愛に対し、多香子は1つずつ説明を続けていく。

「大奥のトップという権力の次に御台様が欲しかったのはお金。
 この団地に住む私達を動かせる力を持った御台様はお金儲けに走ったの。
 今の大奥は・・・私達みたいな人妻を貸し出す、売春斡旋組織に変わっているわ」
「そんな・・売春って・・知ってる人とかいたらどうするんですか?」
「完全な会員制・・でも中にはそんな人もいることだってあるの。
 中には夫の上司って人もいたわ」
「!!」
「会社では主人達に何食わぬ顔を見せながら、裏では私達を高笑いで抱いていくの・・」
「そんなことって・・」
由愛にとってそれは地獄絵図そのものであった。
愛する夫を裏切らされ、そして夫を心の中で笑いながら一緒に仕事をしている男がいる。
「そんなことまでさせられて、今まで誰も大奥を壊そうとした人はいなかったんですか?」
「・・由愛さんも写真やビデオ撮られましたよね?」
「・・・」
確かに由愛も撮られている。恥ずかしい踊りや、信じがたいほどの恥辱が並べられた言葉を発することを強要された。
それは女の由愛にとって、重い足枷になることは分かっている。しかし
「それでも誰一人? 今まで誰もいなかったんですか?」
「・・・・」
言葉を詰まらせる多香子。それは”居た”という返事なのだろうと由愛も感じていた。

「大奥を壊そうとしたその人は・・その人は今何をやってるんですか?」
「・・・病院にいるわ」
「!!」
「その人は今の川原木さんみたく、写真やビデオも撮られた後で大奥を潰そうとしたの」
自分と同じ状況から。それは由愛にとって興味深い話であることは間違いない。
「慎重に・・慎重に進めたわ。でも崩すことは出来なかった。大奥にそのことを知られたからよ。
 写真やビデオはインターネットに流されたの。”レイプしてください”って文字や名前や所在地まで書かれて・・。
 大奥がネット上に出したのはほんの一瞬。
 でも世の中にはそれは面白おかしくいろんな場所へ広める人が居る。大奥はそれを知ってたの。
 写真やビデオは一人歩きをして晒され続けたわ。
 ”レイプしてください” そんな言葉を載せたままよ。
 誰もそんなことはしないだろうと思うでしょ? でも中にはそれをその人自身が望んでいるものと信じ込む人がいるの」
インターネットの恐ろしさは由愛にも理解できている。それだけに多香子の話は背筋に冷たいモノを感じずには居られない。
「インターネット上にそんなものが晒されてるなんて知らなかったその人は、訳も分からないままいろんな人にレイプされたわ。
 そして今度はレイプされた時の写真が面白おかしく広められていくの。
 犯人達は捕まったけど、そのきっかけとなった写真やビデオの出所はわからないまま・・。
 でも犯人が捕まったってニュースでも流れたことで、その話は広がったの。
 レイプされた時の写真も本物だと逆に評判になって晒され続けた・・。
 彼女は被害者よ? でも彼女の旦那さんの家族はそう思わなかったのよ。
 その元になった写真やビデオは間違いなく彼女の物よ。
 結婚後にそんな写真やビデオを撮られるようなことをやっていたと、旦那さんのお父さんやお母さん達は怒ったわ。
 もちろん旦那さんも・・・。
 彼女は離婚・・。その後も写真やビデオが晒され続けていることに精神を病んでしまったの。
 住んでいる団地に大奥というのがって、それがやったんだ。
 彼女にはそれが言えなかった。 もし言ったらどうなるのか?って考えたんだと思う。
 他の人たちにも迷惑をかけるかも・・そんなことを考えたら誰にも言えずに1人悩んで病気になってしまったわ」
あまりにも壮絶な内容だった。
もしそんなことが自分の身に起こったらなどと考えたくもない。
それならば、夫に知られず自分の身一つで済むのなら耐え抜こうと考えてしまうのも理解出来ないことはなかった。
そしてそんな大奥に毒された人間が多くいるということも。
「その写真やビデオがなければそんなことにはならないってことですか?」
「・・川原木さん。さっき御台様のところに行った時何人居ました?」
「御台様と・・他に3人」
「写真やビデオは御台様を入れたその4人がそれぞれ同じものを管理してるわ。
 もし御台様のところから盗み出せたとしても、それに気づいた誰かが同じことをするでしょうね。
 ひょっとしたらその4人の他に管理してる人もいるかもしれない・・」
もし4人で管理しているのならば、同時に盗むことを考え4人の協力者が必要になる。
しかし、それ以上となればそれが成功しても、先ほど聞いた女の二の舞になりかねない。

「川原木さん?」
「はい?」
しばらく考えていた由愛に多香子が声をかけてくる。
「もし川原木さんが大奥を潰せるならそれは歓迎するわ。
 でも・・きっと誰も協力はしてくれないと思うの。 もちろん私も・・。
 誰も今話した女性のようなことになりたくないと思っているの。
 弱虫だとも、負け犬だとも、卑怯だともなんと言われてもいいわ・・。
 大奥を潰してくれることを期待してる。でも協力はしたくないの。
 ずるい考えでしょ? でもそれが本音よ・・」

 多香子と別れた由愛は、愛する夫と暮らす我が家へと戻ってきた。
確かに多香子の言うとおり、わが身を考えればそれが本音なのだろう。
このまま自分も大奥の言いなりで他の男達に抱かれていかなければならないのか?


 由愛が大奥の洗礼を受けたその夜。とあるホテルからは女の苦悶のうなり声が漏れていた。
「ぃぅぅうっ」
肩まで伸びた髪を振り乱し、口には口枷がされている。
練習用のゴルフボールのような形をしたそれからは、女の唾液が滴り落ち、床を濡らしていた。
壁に大の字で貼り付けられている女の股間からは、電動音を鳴らしながらバイブレーターがはめ込まれている。
乳首には洗濯バサミ。そこから意図でつるされた錘が付けられていた。
「これが新人か? 極上の人妻じゃないか」
60間近と言ったところか。その男はホテルの画面に届いたばかりの映像を流している。
泣きながら尻を上げ振る女。蟹股で腰を前後に揺らす女。
紛れもない。それは由愛の映像だった。
「揉み応えのありそうな巨乳だ。お前とは違いパイズリも十分できそうだな?
 あっちの絞まりはどうだと思う? うん?」
男はわざと口枷がされて答えられない女に、問いかける。
「ははっは そうか。よだればかり垂らして今のお前には何も答えられないな。
 お前のその穴よりこっちの方が気持ちよさそうだと思わないか?」
苦悶の表情を見せる女は、潤ませた目で必死に首を横に振る。
それは自分だけを見ていて欲しい、女が愛する男に向けるまなざしによく似ている。
「わかっているさ。この人妻は私の性を受け止めるただの女肉だ。
 本当に必要なのはお前だけだよ。
 私の為に大奥を作り、誰にも正体を知られず”お局様”として君臨しているお前だけをね」
その言葉を聞いてか、女は埋め込まれたバイブによって達していく。
「うぐっ ぐぐうぅっ ウゥっっう」
大の字のまま身体を震わせ、そして動かなくなる女。
男は女に近づき、あごに手を当てて顔を上げさせる。
「本当にお前は可愛いやつだよ」
上げられた美しい人妻の顔。それは誰でもない。
あの望月多香子であった。



千代に八千代に
信定 9/20(木) 14:11:57 No.20070920141157 削除
第十六章

 ふと、母の匂いがした。
子供の頃、母に抱かれたときの匂いだ。
甘えて母に抱きついて、胸一杯に吸い込んだ匂いだ。
かすかに母の声も聞こえる。
顔を、腕を、胸を母の手が撫でている。
怪我をしたとき撫でられると、痛みがスッと消える魔法の手だ。
とても気持ちがいい。庄次郎は幸せだった。
(かあちゃんだ、かあちゃんに会えた)
伸ばそうとした庄次郎の手を母が優しく握ってくれた。
柔らかい母の手を庄次郎は弱々しく握りかえした。
(もう離れない。かあちゃんとはもう・・・・・・)

 瞼に光を感じた。
ゆっくりと目を開ける。
瞼を開くだけでも渾身の力が必要だった。
刺すような光に目が眩む。
瞼を震わせ薄く目を開くと、ぼやけているが目の前に母の顔があった。
庄次郎は口元に笑みを浮かべた、が何故か笑みになっていないと感じた。
それでも母に笑みを見せたくて、必死で笑い顔を作った。
斜め後ろに母を挟むように、守るように、祖父母が座っているのが分かった。
(ああ、ばっちゃとじっちゃもいるんか)
鼻の奥がツンとした。
(みんな一緒だ・・・・・・)

「起きなさったんか?」
聞いたことのない男の声がした。
じっちゃと思った男の声はずっと若く、伸びのある太い声だった。
「はい、今、目を」
若々しい女の声。母ではない。
でも、体内に清風が吹き渡るような、とても心安まる声。
「そりゃ、いかったな」
年寄りの声だが、ばっちゃの声ではない。
脳内がゆっくりと覚醒してゆく。
その過程で母や祖父母はとっくに他界していることに気づいた。

「ご気分はいかがですか?」
心に染み渡るような女の美しく澄んだ声が耳元で囁かれる。
女は庄次郎の返答を求めているわけではない。
ああ、と微かな呻き声をあげ声の主の顔を見る。
しだいに焦点が合うと女の顔がはっきり見えた。
庄次郎の目がかすかに見開いた。
目元の涼やかな、それは美しい女だった。
女は母に似ているのだ。
肌は母と同じように白い。
女は優しげに微笑んでいる。

「目が開けば、お医者さぁはもう平気だぁ言っとった」
声の主の男も安堵したのか、伸び上がっていた体を元に戻した。
起き上がろうとした庄次郎は、頭だけ浮き上がらせたまま、全身の激しい痛みにウッと呻いた。
女の動作は素早かった。
白い手が庄次郎の頭の下に入り、ゆっくりと枕に横たえた。
「もう少し横になっていてください」
女の柔らかい吐息が耳元にかかる。
「うん、それがええの。まんだ寝てなぁあかん。じっきに先生がおいなるで」
相当な高齢と思われる、だが背筋のピンと伸びた小柄な老婆が口を開いた。

 ヒグマに丸太を振り回され、谷川に墜落した。
運良く土砂や岩を避け川の深みに落ちた。
全身がバラバラになってしまったような衝撃を受けたが意識はあった。
落ちたまでは良かったが、そのまま川の急流に流され溺れ、意識が遠のいた。
そこまでは思い出した。
その後この人達に救出されたのか。
体を動かそうとしたが無理だった。
痛くない箇所は何処かと考えるが無駄だった。
現場はどうなったかと考えることすら苦痛だった。
庄次郎は言われるままに再び目を瞑った。

 次に目を覚ましたとき、医者とおぼしい白髪の老人が庄次郎の胸に聴診器を当てていた。
「二、三日でまめんなろう。最初はほっこりせんかったが、なして、つおい体やなぁ」
ベタベタと庄次郎の体を触り医者はそう言った。
部屋の隅にいた女が音もなくスッと寄ってきた。
あの人だ。
目の端に女の姿を捕らえ、庄次郎はそっと息を吸った。
「あと少し養生していれば起き上がっても良いでしょう、とおっしゃっています。
それから、初めて診たときはあまり良い状態ではなかったとも」
鈴の音のような声でそう解説してから女はクスッと笑った。
「お体はとっても頑丈だそうです」
部屋の空気がフワッと動き、また母の匂いを感じた。
女が話すたび、動くごと、空気の色が変化するのを庄次郎は感じた。
「おもしょいか?」
白髪の医者も女の顔を見て、にっと笑った。
医者を送るため部屋から出る、女の流れるような身のこなしに、庄次郎の心がざわめいた。

「今は体を治すことに専念してください」
感謝の意を示そうとする庄次郎の口を遮り、老婆と男と女の三人は必ず口を揃えて言う。
快復した暁には心から礼を言おう。
今は言われたとおりにすべきだ。
もっとも動きたくても体は動かせないが。

 改めて部屋の中を眺める。
築年数は相当なものかもしれない。
まるで武家屋敷のようだ。実際にそうだったのかも知れない。
戦の様子を現していると思われる、欄間の彫り物は見事であった。
動物の皮のようなものを身にまとった、ざんばら髪の男と、鎧甲をつけた武士との戦いを描いている。
その武士の後ろに丸い小さな物がびっしりと彫られている。
草か、それとも石ころか、単なる模様か?

 考えるのを止めて部屋の隅を見ると、床の間には高価そうな花瓶に見たこともない美しい花が生けてある。
生けたのはあの人に違いないと、庄次郎は確信した。
水墨山水だろうか、床の間に古びた掛け軸が下がっている。
その手のことは全く分からない庄次郎でも、この絵に崇高さを感じた。
そして焼けたような黒い鴨居には般若の面がある。
生々しく、おどろおどろしい面だ。
目や口が動いているように見えたので、初めてこれを見たときは息を呑んだほどだ。

 布団の中で己の体に触れてみる。
着ている物はもちろん自分の物ではない。
自分の物は何一つ無いから。
包帯を巻かれた体の上に着物を着せられていた。
ふんどしも身につけていない。
素肌の上にこのサラサラの寝間着を着ていた。
掛けている布団から良い香りがする。
母の匂いだ。

 あの人の布団なのか・・・・・・
自分を裸にして寝間着を着せたのもあの人・・・・・・
庄次郎は布団の中でうろたえた。



由愛 3
薄味チップス 9/18(火) 21:42:01 No.20070918214201 削除
「まあ 由愛さんお綺麗ですわ」
「大きいからお垂れになってるのかと思ったら・・」
「きっとお若いからですわねぇ」
カーテンや窓が開けられた場所からまるで後光が差すかのように日差しが由愛に注がれる。
足元には衣類が綺麗に畳まれ、白のブラジャーやパンティさえも置かれていた。
「うぅぅっ・・」
すすり泣く由愛の口からは、無意識に嗚咽のような声が漏れてくる。
左手は胸に、そして右手は女の秘所部をしっかりと覆い隠していた。
「由愛さん。お手をどかして頂けませんか?」
相変わらず馬鹿丁寧なほどのその口調は、まるで由愛をあざ笑い、小馬鹿にする口調に聞こえてくる。
「ほら。お顔も上げてくださいな」
力を込めたように硬く目を閉じたままの由愛。
今まで受けたことがないこの恥辱に、由愛は目を閉じたまま顔を背けていた。
「あら、またお願いを聞いてくださらないのね?」
「御台様。そう言えば先ほどFAXを送り間違ったのでは?」
「そうでしたわ。今度は失敗しないようにしないといけませんね」
由愛の背中に寒気が走る。
この女たちはどこまでやれば気が済むのだろう。
この女たちはどこまで本気でやるのだろう。
由愛にわかっていることは、自分が言うことを聞かなければ、嫌がらせはエスカレートしていくということだけ。
あんなFAXが会社に届けば、きっと夫は白い目で見られ、片身の狭い思いをするのかもしれない。
それが誰かの悪戯だとわかっていてもだ。
大奥がいったい何の目的で作られ、何を行っている集団なのかわからない。
しかし、今の現状だけを考えれば自分一人が我慢できるならば、そうした方がいいと感じていた。

それが抜け出せない蟻地獄への第一歩だと知る余裕もなく・・・

「・・!?」
何も言わずただ目を開き、女たちを見た由愛の大きな瞳はさらに大きくなった。
「きゃあぁっ!なっ・・・なんですか! 何やってるんですか!」
一瞬自分の身に起こっていることを理解できず、由愛はそれを見てから遅れて悲鳴を上げたのだ。
由愛が見たもの。それはカメラを構える4人の女たち。
辛うじて隠しながらも立つことが出来ていた由愛も、しゃがみこみ身体を丸ませる。
「何って何かございますか?」
「いいえ御代様。何もございませんわ」
相変わらずのやり取り。
「カメラですよ! カメラ!」
「カメラ? そんなものはございませんわ」
「由愛さんったら、綺麗なお身体をご披露してカメラを向けられている幻覚でも見ているのかしら?」
「そうですわねぇ これだけお綺麗な身体ですもの。撮られたいと思うのは自然なことですわ」
女たちは昼の明るい室内で必要ないだろうと思われるフラッシュを由愛に浴びせながら口を合わせる。
どうやら女3人はデジタルカメラ。そして御代が持つのはビデオカメラらしい。
中心に座る御代以外の3方向から由愛に向かい、まぶしい光るを放ってきているのだ。
「何もないですわよ? 由愛さん立ってくださらないかしら?」
御台は明らかな含み笑いを見せながら、冷たく言い放つ。

 10分・15分・・・。
御台の言葉と、肩を震わせながら首を横に振る由愛のやり取りは続いていた。
「ふぅ・・やはりだめなのね・・」
御台はそう言うと先ほど裏返しで送った紙を見せ、今度は間違いなくセットしたことを由愛にアピールしてくる。
「あっ・・! 待って! 待ってください!」
そんな由愛の悲鳴など関係なしに、確認するかのようにゆっくり押されるプッシュ音が部屋に響き始める。
「お願いします! やめてください!」

 強気の態度も見せた。そして泣き顔も見せた。悲鳴も上げた。怒鳴り声も上げた。
しかし、そんな由愛も始めて悲痛の顔を見せ、それだけはやめてくださいと哀願してくる。
女たちからしてみれば、やっと第一段階をクリアできた。
「由愛さんったら何を必死になってらっしゃるの?」
「何を御代様にお願いしてるみたいですわよ」
「あら・・それでしたらちゃんとしたお願いの仕方がございますわよねぇ おほほっほ」
3人の女たちは今まで押し殺してきた高笑いを由愛に叩き付けていく。
「そんな・・私にどうしろと・・?」
室内の空気は一瞬にして変わった。由愛もそれを感じ取ったのだろう。
大きく開いた瞳は恐怖に脅えているかのように振るえ、視線が定まらない。
「由愛さん?」
御台はプッシュ音を鳴らしながら由愛に話しかける。
「私最近耳が遠くなったのかしらねぇ〜。聞こえないわ」
「そ・・そんな・・」
「でも、由愛さんがそんな格好じゃなく、しっかりとした形でお願いして頂ければきっと聞こえると思うの」
「しっかりとした・・・形?」
「えぇ。昔から日本人はお願いをする時床に手を着いて頭を下げてお願いしたものだわ」
「そんな・・」
御台は由愛に裸のままの土下座を強要したのだ。
その姿を女たちは喜んでカメラに写していくだろう。
向けられたままのビデオカメラはその姿の一部始終を収めていくことだろう。
しかし、由愛にはそれがさらなる脅迫の種になることまで考えられなかった。
ただただ・・目の前に突きつけられている御代の脅しに恐怖したのだ。
幸せな家庭。それを夢見た新婚の由愛は目先の恐怖に脅える。
「あっ・・あぁぁっ・・」
微かに口から発せられた由愛の悲鳴。それが合図となる。

 由愛は身体を震わせながらフローリングの床に正座すると、白く細い人差し指同士を合わせるように床に手を置く。
胸から手が離されたことで、今まで隠されていた由愛の乳輪や乳首が露になる。
26歳の若い女のそれは、薄紅色の瑞々しさを未だに残したままだった。
女たちは当然のようにその姿をカメラに収めていく。
しかし、すでに由愛にはどうすることも出来なかった。
目の前に迫っている恐怖は、由愛の正常な思考回路も破壊していくのだ。
由愛はフラッシュを浴びながら静かに頭を下ろし、そして床に置かれた手に額を重ねていく。
「お願いします・・」
小さな一言。しかし女たちにはしっかりと聞こえていた。
4つの高笑いが頭を下げたままの由愛の耳に突き刺さる。
「でも由愛さん、大奥でのお願いの仕方はそうじゃないの」
「??」
御台の一言。由愛は御台の要求どおり土下座をしてみせたはずである。
手を床に付き、頭を下げる。それは土下座とは違うものなのか?
由愛はその意味もわからぬまま、指先に合わせた額を離そうとはしなかった。
「この大奥ではね。もっと足を開いてお尻を高く突き出してするものなのよ」
「えっ?」
その体勢は由愛の頭の中で正確に映像化出来ていた。
あまりにも羞恥にまみれた格好。
「そんなこと・・・」
「これは強要じゃないのよ? でも私の耳が遠いから・・」
御台は思わず顔を上げた由愛に最後のボタンを押す仕草を見せつける。
「まっ・・待ってください!」
それを見た由愛は、慌てて閉じていた膝を広げると、先ほどと同じように添えた指先に額を乗せる。
「お尻は高くですわよ」
もっと、もっと高く、もっと高くよ。
そんな言葉とともに由愛の女として成熟した丸みのある尻肉が浮上していく。
「背中を反るように・・そうよ由愛さん うふふっ」
鼻で笑う御代の下には、脚を開き、尻肉を上げ、背中を反らし土下座をする由愛の姿がある。
「お願いします・・許してください・・」
女たちの高笑いはゲラゲラと笑う下品な笑い声へとさらに変貌していった。
「違う違う。お尻をもっと振りながらよ」
「身体を揺すらないようにお尻だけ前後に動かすようによ」
「動きやすいように手拍子して上げますわ それ いち にっ いちっ にっっ」
「ううぅぅっ・・」
床に落ちる涙。由愛はもうどうしていいのかさえ、わからなくなっていた。
女たちの笑い声にただただ唇を噛み締め、涙を落としながら丸みを帯びた尻肉を掛け声に合わせ前後に揺することしかできない。
「由愛さん・・カメラなんてございませんわよね?」
「・・・」
「ございませんわよね?」
「うぅ・・・はい・・ありません・・・・」

「ほら 由愛さんもっとよ」
「もっと大きな胸も突き出すのよ」
「やだぁ 丸見えだわ 由愛さんったら」
女たちは当然のように卑猥な土下座をさせただけで満足しなかった。
楽しそうに口を合わせて歌い、手拍子をし、そして裸のままの由愛に躍らせるのだ。
手を頭の後ろに回し、蟹股で立たされ、恥ずかしいワレメをやっと隠せている程度の陰毛を見せ付けるように前後に腰を振らされる。
そうかと思えば、後ろに腰を突き出すようにしながら自らの手で尻肉を開かされ、尻文字を書かされたりもした。
「さあ 由愛さん。今日はこれが最後よ」
散々躍らせ、楽しんだ御代は由愛にまたも一枚の紙を渡した。
それは今までと同じように由愛にはありえない内容のもの。
「これは・・?」
「これを由愛さんが読むのよ」
「え? そんなっ・・」
その紙には卑猥な文字も並べられている。それは由愛が今まで一度として口に出して言わなかった言葉だ。
「こんなの・・読めません」
散々恥ずかしい踊りを見せておいて、まだ言うことを聞けないのか?
そんな思いは御台を苛立たせることもなく、さらなる楽しみを生ませるだけだった。
「そうだ。今夜辺り26歳の綺麗な新婚奥様の恥ずかしい全裸ダンスがインターネットに流れるかもしれないらしいわ」
「!!?」
きっと誰もが呆れることであろう。
目先の恐怖に脅えていた由愛は、今やっとその代償の大きさに気づいたのだ。
今度はいたずらだからという言い訳ができない。
紛れもない自分の姿。他人に見せられるはずもない自分の姿なのだ。
「ぁっ・・ぃやっ・・そんな・・」
インターネットの世界の恐ろしさは由愛もわかっていた。
由愛の姿を見た誰かが面白おかしくさらに世界中へと広めていくことであろう。
そんな世界に流れれば由愛の生き恥が回収出来る見込みなどない。
先ほど飛ばされた紙飛行機とは意味も重みも違うのだ。
「読んでいただけるわね?」
御台から由愛に選択肢など与えられるはずもない。

「もっとはっきりよ!」
「詰まらないで最後まで読めるまで続けてもらうからね」
「それくらい読めるでしょう?」
女たちの言葉も荒々しく、すでに最初に見せていた笑顔など消えうせている。
由愛は紙に書かれた文字を何度も何度も読まされた。
初めて口に出す言葉に戸惑い言葉を詰まらせればやり直しをさせられる。
何度も何度も、身に覚えのない卑猥な文章を読まされるのだ。
「最後よ。しっかり読むのよ」

「ううぅっ
 私 川原木由愛はチンポ大好き変態マンコを持ったいやらしい新妻です。
 夫に内緒でセックスフレンドの熱い精子を膣の中に頂いています。
 ナンパ男のどろどろのザーメンを子宮にかけて頂いています。
 様々な殿方の臭いスペルマを由愛のマンコで受け止めています。
 これを見た方は、マンコ10円。ケツの穴20円で犯してください。」

読み終わると由愛は声を出して泣き始めた。
深みに嵌っていく。おそらくそれは、もがけばもがくほど。
抜け出せるものならば今すぐ抜け出したい。
しかし、現実はただ目の前の恐怖に脅えた自分が作った道。
崩れるように倒れて泣く由愛に御代が足をかけると
「静かにおしっ!」
そう言って由愛の身体を足で転がすのだ。
「大奥へようこそ・・・由愛」
由愛は涙で霞む目で御台の姿を見上げるだけだった。



千代に八千代に
信定 9/18(火) 13:19:17 No.20070918131917 削除
第十五章

 怒号や悲鳴の中、修羅場となった部屋から二人の女を抱きかかえるようにして庄次郎は逃げ出した。
頭に血の上った人間に何を言っても通じないことを知っていた。
群集心理からくる人の冷酷さも知っている。
先頭に立っている者よりも、引きずられていく者の方が残忍さを増すことがある。
何とかして女だけでも救わなくてはならない。
李の妻がまだ部屋の中に残っている。
外に連れ出した女を逃がし、庄次郎は再び中に入った。
中に入ると殆どの朝鮮人の男達が呻き声を上げ倒れていた。

 李の妻は包帯男の肩に担がれていた。
妻は気を失っているらしく、男の背に髪と両手をダラリと垂らしていた。
毛むくじゃらの太い腕が、妻の剥き出しの太ももをがっしりと抱いている。
片手で丸い大きな尻を掴み、包帯男の顔は笑っていた。
その時、鼻の奥でキナ臭い匂いが充満した。
角材で後頭部を殴られたのだ。
何人かが庄次郎に殴りかかってきた。
それを必死で振り払い、殴られた頭を押え外へ逃げた。
しかし、棒きれで体中を打ち据えられ、もんどりうって倒れ込んだ。
庄次郎は立ち上がるが、更に暴行は続いた。
やがて苦痛が消え、意識を失った。

 目覚めたのは山の中だった。
なぜこんな場所にいるのかは分からない。
起き上がろうとすると全身に激痛が走った。
頭が痛い。
ウッと呻いて、仰向けに倒れる。
痛みが走る頭に手をやると、ヌルリとした感触があった。
それが血であると判断できるまで時間がかかった。
起き上がることさえできず、目を閉じた庄次郎はまた意識を失った。

 再び意識が回復した。
目を開けるが何も見えない。
闇であると分かったのは赤い物が二つ動くのが見えたからだ。
動物の目かもしれない。
庄次郎はゆっくりと息を吸い込んだ。
頭に触れると既に血は固まっていた。
生きているのがまるで信じられなかった。
立ち上がる勇気がわくまで、しばらくじっとしていた。
やがて庄次郎は立ち上がったが、すぐに膝を突いた。
足が痛い。
折れているとは思えないが、ヒビは入っているかもしれない。
全身が濡れていることに気付いた。
雨が降ったようだ。
どの位時間が経ったのかも分からない。
耳を澄ますが何も聞こえない。

 庄次郎は痛みを堪え、闇に向かって歩き出した。
現場の状況はどうなっているのだ。
何とかして元の場所へ戻りたい。
歩いても歩いても元の場所にはたどり着けない。
完全に方向を見失っていた。

 庄次郎は鬱蒼と木の茂った山の中を彷徨った。
民家も見つからないし、人の気配すらなかった。
木の実を食い、川や沼を見つけると水を飲み、飢えをしのいだ。
始めの頃は、日の出と日没を数えていたが、今はもう分からない。
川沿いを伝いたいが、大木や岩に妨げられ獣道すらない。
横に逸れただけで、あっという間に方向が分からなくなる。
太陽の位置さえ分からなくなる山の中には入りたくないが、四方が森林なので入らざるを得ない。
現場のことは気になるが、どうすることもできない。
万が一戻れたとしても、監督しての仕事が続けられるとは思えない。
監督うんぬん以前に会社で仕事することすら不可能だ。
暴行された朝鮮人達のことが気になる。
女達は大丈夫だろうか。
衰弱する体力と絶望と哀しみで、精神がズタズタになっていた。

 母はどこから来たのだろう?不意に思った。
村に現れた当時の母のことはのちに人伝で聞いた。
出会う人全てに、地面に頭を擦りつけて母は食い物を乞うた。
姿同様、身も心もボロボロで、食い物一つ手元にない有様はどんなに惨めだっただろう。
薄気味悪がられ、殆どが戸をピシャリと締めてしまう。
それでも母は民家を一軒一軒回り手を合わせたのだ。
物乞いに疲れ果てると、お堂の裏で身を休めた。
そこは一日中日の当たらない、常にジメジメした、食えない茸が大量に繁殖した蜘蛛の巣だらけの場所だった。
犬猫すら近づかない、そんなところで母は暗闇の中じっと身を潜めていたのだ。
毎日が生存を賭した闘いだったに違いない。
全ては腹の中の庄次郎のためだった。
あまりにも情けない今の姿に涙が滲んだ。

 手の甲で涙を拭った、その時だった。
突然、前方に大きな黒い物が現れたのだ。
熊だった。
全身真っ黒い毛で覆われた熊は立ち上がり両手を広げている。
ヒグマだ。
庄次郎の身長の倍はある。
あの爪で攻撃されたらひとたまりもない。
もしかしたら、ずっと庄次郎を狙っていたのかも知れない。
全身の皮膚が総毛立った。
そしてヒグマを見ながら、ゆっくりと後ずさる。
ヒグマは首を回し、牙をむき出し、涎を垂らし吼えながら、両手をブンブンと動かし威嚇する。

 庄次郎は走った。
後ろからものすごい勢いで追いかけられているのが分かった。
無我夢中で走った。
向こうに谷が見える。
一瞬観念したが、丸太がかかっているのが見えた。
たぶんヒグマは渡れないだろう。
丸太に飛び移って走ったが、足を滑らせ危うく落ちそうになるのを両手でしがみついて踏ん張った。
丸太の中央付近にぶら下がり、向こう岸を見た。
まだ遠い。
下まではかなり高いし、下降の川の流れも相当なものだ。
ヒグマが丸太を抱えようとしている。
体が竦み、心臓が縮み上がった
庄次郎の体が宙に浮き上がった。
ヒグマは一旦は丸太を持ち上げたが、直ぐに手放した。
地面に叩き付けられた反動で、庄次郎の体が丸太から滑り落ちた。
庄次郎の悲鳴が谷に木霊した。



悪夢 その78
ハジ 9/17(月) 11:13:17 No.20070917111317 削除
「秋穂先生を調教した者がいます」
「なにを馬鹿な―――」

 一笑に付そうとして、私は失敗しました。羽生の言葉が遅効性の毒のように染みてきたのです。しかも、具体的なイメージをともなって。
 目の前で少年たちに翻ろうされつづける妻―――彼女の乱れようは、鋭利な刃物となって私の胸を抉ります。
 軽い立ちくらみをおぼえた私は思わず、目頭をおさえていました。

「い、犬や猫ではあるまいし―――」

 ようやく、それだけ言って、私は大きく息を吐きました。

「家内はカタイ女だ。君の言っていることなど―――」

 羽生はまるで、私のその言葉を予想していたようでした。

「身持ちの固さと性欲の強さは関係ない」
「しかし―――」
「別に奥さんはあなたと出会うまで、処女だったわけではないでしょう」
「―――」
「それどころか、肉の悦びは知っていたわけだ」

 羽生は少し瞳に憐れみを込めて、言いました。

「それはあなたが教えたわけではない―――顔にそう書いてあります」

 確かに―――
 妻が―――秋穂が私との同衾で、こんな顔を―――これほどの反応を示したことはありません。私にとって、そのことは屈辱でもありました。

 私はもっと妻のちがう姿を想像していました。歯を食いしばって耐える姿を―――あるいは、彼女が不感症のようにふるまうことを。
 秋穂はセックスには興味がない―――他人に犯される姿を夢見ていた私が言うのは矛盾するようですが、心の奥底ではそう願っていたのかもしれません。

「遠い過去のことなのか、それとも現在も続いているのか―――」

 羽生は自らの過去に想いを馳せるように、胸に手を当てました。

「しかし、あなた以外に『ご主人様』がいることは確定です」
「馬鹿な―――今、君自身が『過去』のことかもしれんと言ったばかりじゃないか。やはり、おまえの言うことは根拠もなく、出鱈目―――」
「いますよ。少なくとも、現在も心の中に―――いや、肉体には彼の記憶が確実に刻まれている」

 私は悔しさに顔を歪めました。しかし、それ以上言葉が出てきません。
反対に羽生は肩から力を抜きました。

「あなたのおっしゃるとおり、私の言っていることはいずれも推測の域を出ない。けれども―――プロの私の目から見て、奥さんは十分に開発されたからだをお持ちだ。そして、それを隠そうとしている。これだけは断言できる」

 羽生の静かな迫力に私の呼吸は再び乱れはじめます。

「以上のことを踏まえて、仮設を建てれば、おのずとひとつの筋道がみえてくる」
「どのような……」

 私の横槍にも羽生は動じません。科学者のような冷厳さでもって、それを切り捨てました。

「秋穂さんの不可解な言動のすべてにおいて」

 ああ、私はまたも乗せられている。それがわかっていながら、聞かずにはいられません。

「どういうことなんだ?」
「奥さんが最後まで映像を見ようとする理由―――」

 羽生は短く答えると、実物のほうへ目を遣りました。

「それが説明できてしまうんです」
「―――」

 私は言葉にこそ出しませんでしたが、目で彼に答えを求めていました。
 羽生は仕方なくという様子で、目線を戻しました。

「命令されているんですよ」
「―――命令?」
「彼女のからだの所有者に命じられているのです。我らといっしょに映像を観るようにと」

 闇のなかに黙ってたたずむ妻―――その彼女の全身を絡めとる太い鎖。そのとき、私は確かにそれを見た気がしました。





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千代に八千代に
信定 9/14(金) 17:48:51 No.20070914174851 削除
第十四章
 
「休みの日、下に降りて女買いに行ったろう」
丸坊主の男は口の中に指を突っ込んだ。
「ああ、あんた全然戻って来なかったよな。あんときゃ俺ら先に帰って・・・・・・あん?まさか・・・・・・」
他の男達も意味が分かったようでギョッとした。
「おう、そのまさかよ。あの女が立ちんぼしてたってわけだ」
歯に挟まったものを引っ張り出す。
「本当か、おいっ」
「あんた、あの女を・・・・・・」
全員が丸坊主の顔を見つめた。
「ああ、買った」
引っ張り出した物をまた口の中に放り込み、クチャクチャと噛んだ。
「本当かよっ。で、どうだったんだよ」
男達の眼がたちまち充血する。
「年の頃は三十路ぐれえか、いい体してたぞ」
男達は息を呑んだ。
「可愛い顔した、結構いい女じゃねえかよぉ」
「そんな女には見えねえけどな、ぜんぜん」
「でもよぉ、体つきはなかなかのもんだぜ」
前歯の抜けた男が興奮して、両手を上から下へ動かし女の体を形作った。
呆けた顔をして他の男達はそれを見ていた。

「ああ、ひん剥いたらいいケツしてたぞ。白くてツルツルでよ」
丸坊主は噛んでいた物を今度はペッと吐き出した。
「かー本当な、冗談じゃねー」
男の一人がヒュッと喉を鳴らし、悲鳴のような声を出した。
「始めはよぉ、俺のを咥え込んでも顔を赤くしてそっぽを向いてた。まあ、なんせ知ってる顔だからよ。
俺もちょっと照れが入ってたけどな。ククク・・・・・・」
朝剃ったにも関わらず、もう満遍なく髭が生えてきている、自慢げに突きだした下顎を指で擦りながら続けた。
男達は丸坊主の口元を固唾を呑んで見つめていた。
「腹ん中掻き回してやるとよ、パンパンぶつけてな。そのうちヒーヒー泣いて抱きついてきたぞ」
丸坊主は上唇を舐める。
「ほ、本当かよ・・・・・・」
前歯の抜けた男はカラカラになった口の中を潤すため、茶をズッと啜ると「あちっ」と言って吹き出した。

「上にしてやんと、腰をクイクイひねりやがってよぉ、そらぁたまんねえ・・・・・・」
丸坊主の声がだんだん大きくなる。
「おいおい、李に聞こえるぞ」
聞いていた男の一人が声をひそめて制止する。
「なーにかまわねえよ」
少し離れて一人で飯を食っていた李が、丸坊主の方を振り向いた。

「あそこの具合も良かったぜ。ねっとり絡みついて、たこつぼのようによぉ、キュッとな。抜こうにも抜けねえや」
指を三つ立て、だから三発もしちまったぜ、と声を上げた。
「始めは口も吸わせなかったけどよ、最後は夢中で舌絡めてきやがった。可愛い女だ。ぐふふ・・・・・・」
李の方を気にしながらも、男達はクッと唾を呑み込んだ。
「尺八も絶品よ。よくあれだけ仕込んでくれたな。礼を言ってるんだぞ、おい!」
丸坊主は李の方を向いて言ったので、聞いていた男達はさすがに狼狽えた。
「ちょ、ちょっと・・・・・・」
「さっき、てめえの女房に今夜行くって言ってきたぞぉ。他の客は取るんじゃねえってな!」
丸坊主は声を張り上げた。
李は握った拳を振るわせていた。
「ここじゃ困りますって言いやがってよ。おい李、てめーからも言っておけよ。もっかい買ってやるからよ」
いつの間にか周りのさざめきがピタリと止んでいた。

「聞いてんのかぁ、李ぃ。女房に体空けとけって言っとけや」
「おい、もう止めろよ」
とうとう隣の男が丸坊主の腕を掴み止めに入った。
「いいから。気にするこたぁねえ。おい李、凄かったんだぜ、俺のマラを握ったまま離さねえでよ。
だから俺はてめーの女房の股くらおっ開いてべろんべろん・・・・・・」
「黙れ!」
棒きれを掴んだ李が突然飛びかかっていった。
俊敏な動きの李の攻撃は確実に丸坊主の男の顔面を捕らえた。
グワッと声をあげ、仰向けに倒れる。
「くそー!この野郎!」
他の者が何人か李に飛びかかるが、棒きれで腕や足を打ち据えられ、悲鳴を上げて地面に転がる。
丸坊主の男は逃げる李の後ろ姿を、血の滴る顔面を押さえ見据えていた。

「李はいるか!」
夜、人足の朝鮮人が集まる大部屋に庄次郎は出向いた。
引き戸を開くと案の定、大勢いた。
庄次郎の顔を見て全員が安堵の表情を浮かべた。
庄次郎は息を吐いた。
一人の男が奥を指さす。
膝を抱えている李に妻が寄り添っていた。
「頭、申し訳ありません」
「なだめてはきたが、みんなかなり頭に血がのぼっている」
「俺、謝りに行ってきます」
「私も一緒に」
李と妻が言う。
「いや、それは危険だ。もう一度俺が何とか」
「無理だと思います」
一人の男が立ち上がって庄次郎の言葉を遮った。
「あんな怪我をさせてしまったし、いや、向こうが挑発してきたんですが」
男の声に李の妻が泣き出す。
「私たちは理由のない迫害を受け、働く場所もないし、あったとしても給金は極端に安い。
日本人より一生懸命働いているのに。だから、李の奥さんも・・・・・・仕方がないんです」
勉強家である朝鮮人は、ほぼ全員が日本語を流暢に使いこなす。
日本語が分からないのは死活問題となる。
母もそうだった。

「だから、俺たちは今度は」
「頭が味方になってくれればあんな奴ら」
「そうだ、頭が先頭に立って」
「ちょっと待て、お前ら何を考えてるんだ」
「もう、我慢できません。立ち上がるしかないです」
男達は庄次郎から視線を外した。
「立ち上がる?ばかなっ。駄目だ!そんなことしては駄目だ!」
庄次郎が両手をあげる。

「どうしてです!私たちは奴らの仕打ちに今まで必死で耐えてきたんだ。
陰で殴られ怪我をさせられたり、飯を取り上げられたり、金まで巻き上げられ、
そして、妻だって手込めにされた者だっている。恐いから黙っているだけなんだ。朝鮮人の何が悪いんだ!
私達が何をしたって言うんだ!」
男は興奮していた。
庄次郎だって迫害は身に染みて分かっている。
「だが、そんなことをしたらどうなるか考えてみろ。仕事だって無くなるぞ」

「だから、朝鮮人の頭がいればなんとか」
「なにっ・・・・・・」
驚きの声をあげる庄次郎を全員が見つめた。
そして、全員が驚きの表情を見せていないことに愕然とした。
庄次郎の体がよろけた。

「反対側で掘削をしている我々の仲間の一人が頭を知っていたんです」
全員が静かに俯いた。
「頭と同じ故郷の朝鮮人で、頭のことを知っていたそうです。惨い死に方をした頭の母上のことで・・・・・・
やはり、彼も手酷い仕打ちを受けて村を出て行ったそうです。そして、この山で偶然頭を見かけて我々に」
そう話した男は沈痛の表情を浮かべた。

「そうか、みんな知っていたのか。隠し通せないものだな」
庄次郎は自嘲的な笑みを浮かべた。
「俺たちを雇ってくれましたし、しかも夫婦で。本当に感謝しています。俺たちの希望なんです、頭は」
全員が庄次郎に熱い視線を向けた。
その時、バッと戸が開いた。

「聞いたぞ、こらぁ!日本人と偽って現場監督なんぞやってやがって!」
頭に包帯を巻いた例の丸坊主の男が吼えた。
部屋にいる全員が立ち上がった。
李が素早く男の前に座り頭を下げた。
「申し訳ない。私が悪かった。だから、勘弁して・・・・・・」
包帯男は李の顎を蹴り上げた。
グエッと呻きひっくり返る。
「あんたぁ!」
「やっちまえ!」
李の妻の悲鳴と同時に包帯男の掛け声で大勢の男達がなだれ込んできた。



ラベンダーの香る頃
すう 9/13(木) 03:20:30 No.20070913032030 削除
------------------2------------------------
南浦和から歩いて10分、四つ角のドラックストアーのシャッターが
開くと60歳くらいの女が洗剤が山積された台車を押し出してきた。
女は台車のストッパーを踏み込みながら向かいにある12階建て、グレーのタイル貼りの
Jマンションを見上げた。
「ほんとうに、ちゃんと取り締まって欲しいわ・・・」
目線を下に移し、向かいに止めてある車をもう一度見ると店に消えて行った。

そのマンションの11階の角部屋で平冴子が朦朧としてソファーに横たわっていた。
背もたれに座った男の性器を咥え、後ろからはもう一人の男が冴子の長い足を持ち上げ
挿入していた。
「あ・・あ・・あ・・・・・」
竜二が突き上げるたびに冴子は喉の奥から喘ぎ声をだした。
剃髪された冴子の性器に真珠いりの竜二の性器が見え隠れした。
「おい・・・こっち・・向けや・・・」と竜二は冴子の尻を叩くと
剛は腰を引き、性器を唇から離した。
冴子は、開いたままの口を竜二に移すと、すぐに舌が滑り込み続いて、唾液が流し込まれた。
剛はソファーを降りると、冴子の下半身に首を突っ込み、竜二を受け入れている
冴子の性器を舐め始めた。
「あ・・あ・・・・」のぞける冴子の足が空になった缶ビールに触れ大きく音を発て
テーブルから落ちた。

「どうや・・・旦那と比べて・・」舌で聞く竜二に、冴子は舌を絡めて答えた。
「たまらない・・・もう・・・・」冴子は剛の頭に爪を立てた。
「旦那と比べてどうかと・・・聞いてんだ・・・」突き上げる竜二に
「比べ物に・・ならない・・・・・あなたとは・・」と、唾液を飲み込んだ。
「竜二と言え・・竜二と・・・・・」ともう一度突き上げられ
「・・・・りゅう・・竜二とは・・比べ・・ものに・・ならな・・い」と言ったとき
冴子は掴んでいた、暗黒の世界から戻れる最後の切符を手放した。
その言葉に、竜二は、獲物を・・楽しみながら・・時間をかけて・・と壁の時計を見ながら
「おい・・ビールもって来い・・」と剛の頭を蹴飛ばした。

夫と子供を送り出したあと、竜二の部屋のノブを回したのが9時半頃だった。
「今日はコートの下は、なにも着けずに来い・・・」
竜二に言われるまま、厚手のカシミヤコートの下は何も着けずに
タクシーに乗り、二駅程、離れた竜二の部屋をノックした。
勢いよく開かれた、ドアの後ろには全裸で勃起した竜二が立ちすくみ
鍵を掛けないまま、冴子の片足を持ち上げ、玄関でいきなり挿入された。
ゴクゴク・・真珠入りの性器が入って行くのがはっきりと感じ取られた。



由愛 2
薄味チップス 9/13(木) 01:00:51 No.20070913010051 削除
「もうなんなのよ。ふざけるにしても程があるわっ」
無事に飛ばされた紙飛行機を回収できた由愛は、それを破りながらエレベーターに乗り込む。
いくら普段は温厚な由愛と言えど、洒落とは考えられない悪意のある悪戯に平常でいられるわけがない。
「何が大奥よ。馬鹿じゃないのっ」
誰かに聞かせるわけでもないそんな不満の声が自然と口から出てしまう。
由愛は不快感しか得られない最上階の部屋には戻らなかった。
隠れるようにクスクスと笑いあう女達。思い出しただけでも腹が立つ。

 新婚生活を送る愛の巣に戻ってきた由愛は、テレビの音量を上げながらソファーにどかっと座る。
「あぁ〜 腹が立つぅ〜」
由愛をよく知るものならば、大きな声で不満をぶちまける姿に驚くことであろう。

 由愛が我が家へと戻ってから大奥からの連絡は何もない。
ひょっとしたら迎えに来るのでは? と思ったがそれもどうやらなさそうだ。
時間が経つにつれ、ほんの少しづつ怒りは収まりかけているが、それを完全に消せるわけがない。
そんな時だった。
「!!」
視界の端で僅かに横切る白い何かが見えたのだ。それは窓の方から。
由愛は何かを感じたのか、ベランダへと急ぎ出る。
「なっ・・何?」
ベランダから外を見た光景をすぐに理解するには難しいほど異様な光景であった。
そこには一斉に飛ばされた無数の紙飛行機。
すでに敷地内に落ちているものもあれば、目の前を横切っていく物もある。
「ここまでする・・? おかしいんじゃないの・・・」
一瞬唖然となり、目の前が真っ白になった由愛だったが、飛ばされた紙飛行機の回収に急がなければならない。
「痛っ・・・」
慌てて振り返り走り出した由愛は、窓のサッシやテーブルに足をぶつけながらも外に出て行くのだ。

 由愛が外に出た頃、飛ばされた紙飛行機はすべて落ちきったようだった。
「はぁ・・はぁ・・ハァ・・・・」
ほんの少し息を切らした由愛は、そのうちの一枚を手に取り中を確認する。

「303室の川原木由愛はセックス依存症」

またもそれは身に覚えのない中傷文。
そんな中傷文がたまたま手に取った一枚だけということは有り得ない。
由愛は視界に入る紙飛行機を拾い上げると、書かれている内容を一枚づつ確認していく。

「川原木由愛はSEXフレンドに孕まされたことがある」
「303室の川原木由愛はレイプされたいらしい」
「川原木由愛の無修正画像がネットで出回っているのは事実である」
「川原木由愛です。誰か牝豚調教して!」

どれもこれも卑猥で、事実無根のものばかり。
「なんで? なんでこんなとするの?」
由愛の目に僅かに溜まる涙は何の涙であろうか?
怒りか? 悔しさか? 惨めさか?
おそらくそのどれにも当てはまらない様々な感情が入り混じった涙なのであろう。
「あらぁ〜 そこにいらっしゃるのは由愛さんかしら?」
遠くから叫んでいるらしい声が由愛の頭上から聞こえてきた。
見上げるとそこにはあの御台所。
いや、そればかりではない。各世帯から人妻達が顔を出し、由愛の姿を見下ろしているのだ。
「何かありましたの?」
「お庭のお掃除かしら?」
「率先してお庭のお掃除するなんて川原木さんは真面目な方なんですねぇ」
またもクスクスと笑う声。
由愛はそんな大奥の妻達に罵声を浴びせるわけでもなく、ただ下唇を噛み締めたまま一人一人の顔を覚えるかのように見ていく。
「・・??」
そんな中、由愛はある違和感を感じた。
クスクスと笑う顔の中には、明らかに違う感情が混じった顔も混じっていたのだ。
それは由愛と視線が合うと逃げるように目を逸らし、そしてどこか怯えているような表情を見せている。
おそらく、大奥からの嫌がらせに怯え、ただ言いなりになっている者もいるということか。
 しかし、今の由愛にはそんな違和感など関係ない。
顔を出す住民達の顔を覚えるかのように見終わった由愛は、再度紙飛行を回収し始めるのだ。

バタン
 部屋のドアが荒々しく閉められる。そこは最上階の一室。
「あら 由愛さんじゃないですか。どうかなされたんですか?」
御台所を含む4人の女は、またも何もなかったかのように白々しい言葉を吐いてくる。
由愛は無言で回収した大量の紙を、菓子類が並ぶテーブルの上に投げ捨てた。
「あらぁ 乱暴ねぇ」
「何かご機嫌を損ねるようなことがあったのかしら?」
「怖い顔をするとせっかくの綺麗なお顔が台無しになっちゃいますよ?」
生まれてからこれまでの仕打ちなど受けたことがない。
よく笑い、人当たりのいい普段の由愛は他人に好かれることはあっても、決して恨まれるようなタイプの人間ではない。
この女達は自分に何が気に入らないのか? 何故こんなことをするのか?
由愛はそんな気持ちでまたも唇を噛み締めるのだ。

 シャツを脱いでブラジャーを見せて欲しい。

 たったその一言。その願いを適えれば満足なのか?
由愛は唇を噛み締めたまま、何の宣言や前触れもなく着ていたシャツを脱ぎ去る。
「?」
「・・!」
突然の行動。それに驚いたのは御台所達の方であった。
シャツの下から出てきたものは、出産経験のない20代の若々しい乳房の谷間。
白い肌にレースの飾りを付けられた白いブラジャーは、その谷間を引き立たせるには十分なアイテムとなっていた。
「あっ・・あら ど・・どうしたのかしら? 由愛さん」
「いきなり脱ぎだすだなんて・・お部屋が暑かったかしら?」
今まで通り由愛を挑発しようとする女達ではあったが、その言葉は驚きを隠せないのか、たどたどしい。
「これでいいんですね?」
「え?」
由愛の小さな声に女達の言葉は出なくなった。
「これでもうあんなことしないんですね?」

 今までには泣き寝入りする者、怒り出し暴れる者などはいた。
しかし由愛はそのどれとも違う。静かな怒りのアピールに女達は呆然とするばかりだ。
だが、御台所だけは違っていた。
思い通りにいかない苛立たしさから、由愛のそれとは違う自分勝手な怒りを感じていたのだ。
「ごめんなさいねぇ 由愛さん」
「?」
由愛は静かに御台所の顔を見つめる。
「今度は由愛さんの裸が見たくなってしまったの。何も着ていない全裸の由愛さんをよ」

 由愛はその言葉を聞くと床に座り
「これをしたらあれ。あれをしたらこれ。それじゃキリがないじゃないですか」
御台所が静かに口元を緩める。
言い返すことが出来なく、見せ掛けだけの余裕を口元で表現したのだろうか?
それは違う。
御台所が用意した”脅しの方法”はまだ他にあるのだ。
まだ紙飛行機として飛ばしていなかった紙を由愛の前に突きつける。
「・・・これをまた飛ばすと?」
そこに書かれていたものは

「川原木由愛は新婚にも関わらず、夫よりも太い逞しいSEXフレンドのチンポで毎日可愛がられています。
 中出しされて妊娠が心配ですが、感の鈍い夫は気づいていないようなので夫の子だと騙すつもりです」

 確かに誰かに見られれば困るどころの問題ではないだろう。
しかし、また紙飛行として飛ばされるのであれば回収できる。
もちろん何もされないのが一番であったが、それくらいの脅しは平気だという態度を見せることに由愛は終始したのだ。
そんなことをしても無駄。自分は大奥の言う通りにはならないと意思表示するためでもある。
だが、由愛が青ざめたのはその紙の上に置かれたもう一枚の小さな紙だった。
「どうしてこれを・・」
「ご近所ですもの。ご挨拶くらいするでしょう? 若くて格好いい旦那様ね?
 お仕事のお話をしたら下さいましたわ」
置かれたものは由愛の夫の名刺。
会社名や個人名はもちろん、会社の住所や電話番号、FAXも当たり前のように書かれている。
「さあ・・由愛さんは脱いでくださるのかしら?」

 御台所はその紙を持ち、電話機の方まで足を進める。
「最近はメールとかが多いでしょう? だからあまり使わなくなったんですけど、FAXなんてのもあるんですよ?」
その言葉は由愛にとって信じがたいものだった。
夫の会社に先ほどの文章を送ると言うのか?
「うそ・・でしょ? そんなので・・出来るわけないよ・・」
静かでありながらも意志の強い強気な由愛から一転、その姿は酷く弱弱しく見える。
「由愛さん? 脱いでくださらないかしら?」
御台所は紙をセットするとプッシュボタンを一つずつゆっくりと押していく。
「お・・脅しでしょ? 本当にやるわけないよね?」
これはただの脅し。どちらも根負けするのを待っている。
由愛はそう思っていた。
しかし、由愛は心臓が止まってしまうかと思える程の光景を目の当たりにする。

「い・・いやあァァァ!」
指先一つ。それは1人の妻を地獄へと誘うには十分なものなのか。
セットされた紙は機械に巻き込まれ、そしてまた出てくる。
ガタッ
由愛は立ち上がると御台所を突き飛ばすようにその電話機のディスプレイを確認する。
その送り先の番号。それは由愛も知っている。間違いなく夫が勤める会社のFAX番号だった。
「う・・そ・・・・・・」
由愛は床に崩れ落ちていった。
こんな文章などおそらく夫は信用することはないだろう。
だが、会社での夫の立場はどうなる?
「うわあぁぁァァ」
確かに自分のこともあった。しかし由愛は夫のことを想い今日初めて声を出して涙を見せたのだ。

「うっ・・うっ・・くっ・・」
由愛の泣き声がすすり泣きに変わった頃、強気な由愛の姿に慌てふためいていた女達も元の姿に戻っていた。
「由愛さんどうして泣いているのかしら?」
「先ほど急に立ち上がった時にテーブルに足をぶつけたんじゃないかしら?」
クスクスと笑う声がまたも由愛の耳に届き始める。

「あら 大変」
そんな中で急に大きな声を出したのは御台所であった。
「どうかなされました? 御台様」
「私としたことが・・紙を裏返してFAX送ってしまったみたいなの」
「・・!?」
それを聞いた由愛は、電話機から出てきていた紙を奪うように取った。
先ほど見せられた裏には、教材の宣伝広告として作られた文字が並んでいる。
夫の会社に届いているのは、おそらく誰も気に留めることもなくゴミ箱に捨てられる宣伝のFAXということだ。
「お・・送られてないの・・」
そんな安堵もつかの間のものだろう。
何故なら御台所の作ったようなやさしすぎる声が、由愛を見下ろすように発せられるのだから。
「由愛さん。脱いでくださるかしら? 私・・2度目は失敗しないと思いますわ」
静かな展開を見せていた御台所と由愛の駆け引き。
この勝敗は由愛自身も悟ったことだろう。



千代に八千代に
信定 9/12(水) 16:50:12 No.20070912165012 削除
第十三章

 銅などの鉱石の採掘などが行われている鉱山が、庄次郎の新しい職場となった。
この鉱山の歴史は古く、奈良時代に都へ大量の銅が献上され仏像などに使用されていた。
豊かな自然に恵まれたまちであり、日本の経済を支えた鉱山の一つでもある。
庄次郎の勤める会社にも人足の補充として要請があった。

 始めは鉱山と聞いて母の悲劇を思い出し、
「俺はこのままでいいので、ここで働かせてください」と頼み込んだ。
「お前は真面目だし一生懸命やるし、能力があるんだ」
現場監督にそう言われ、社長にも説得され庄次郎はとうとう首を縦に振った。
都会にどっぷり浸った生活が身に染みついていて、来てみるとまるで田舎で落胆したが、
同時に故郷に帰ってきたような安堵感も感じていた。

 仕事の手本、指示、人足の補充、効率の良い採掘計画等の検討に参加したりと、監督の仕事は多忙を極めた。
特に初めて経験する人の管理には閉口した。
怠ける者、仕事の遅い者、文句ばかり言う者、血の気の多い者など様々だ。
いざこざによるいさかいなどは日常茶飯事である。
ただ子供と違い力があるので、怪我をしたりすると非常にやっかいだ。

 そして人足には朝鮮人がいる。
庄次郎が敢えて雇ったのだ。
低賃金で雇うことができるが、日本人労働者との軋轢などを考えると、会社としては積極的ではなかった。
監督者である庄次郎の元に、朝鮮人らが雇って欲しいと毎日のように来ては頭を地面に擦りつける。
中には夫婦で頭を下げに来る者もいて、妻を抱いて欲しいと言う夫さえいた。
その横で頭を下げている妻を見て、やりきれない思いであった。

 ひた隠しにしているが庄次郎も同じ朝鮮人だ。
ようやく会社に了解を貰ったときは自分のことのように嬉しかった。
飯場での仕事として朝鮮人の妻も何人か雇った。
庄次郎に頭を下げ、泣き出す妻もいた。
考えられないほどの低賃金にもかかわらず朝鮮人はよく働く。

 大抵の日本人労働者は無視しているが、朝鮮人の存在そのものが面白くないと思っている者も多くいる。
たまに顔に痣のある朝鮮人を見かける。
陰で陰湿なイジメが行われているせいだ。
何かあったら言ってくれと告げてあるが、未だ相談はない。
どうしたのか、と聞くと皆が貝のように口を閉ざす。
喧嘩やイジメなどが発生しないよう眼を光らせているが、全てを把握することは不可能だ。
本来の仕事も大変なのに、自分で雇ったこととはいえ、初めて経験する難題に庄次郎は頭を抱えた。

 大半は男一人での出稼ぎ労働者で、会社で用意した掘立の大部屋で数人との寝泊まりだが、
夫婦で働く日本人労働者には、小さいが夫婦用の部屋を宛がっている。
朝鮮人の夫婦にも庄次郎の計らいで同様の待遇をしている。
かててくわえて庄次郎は朝鮮人に優しい。
そのことも一部の日本人労働者にとって、気に食わないことであった。
冷静に見れば平等に対応していることが分かるわけだが、そうは見て取らないところが人の哀しき性である。

 休憩の合図の鐘が鳴った。
「ああ、腹減った」「飯だ飯だ」
飯場生活で肉体労働者にとっての楽しみは飯と賭博と女だ。
それ以外無いと言ってもいい。
掘っ立て小屋の厨房で、湯気立つホカホカの白米と熱い味噌汁におかず、そしてしょっぱい漬け物が添えられる。
それらを山盛りで盆に貰い、小屋の中や外で気の合う仲間と一緒に飯を食う。
英気を養うひとときである。
全員が例外なく白い歯を見せている。
彼らが一番いい笑顔を見せる時だ。

 荒くれ男が数人揃うと、やはり女の話題になる。
「あんたさっき、朝鮮の飯炊き女と何話してたん」
飯を食い終わったあと爪楊枝をくわえ、シーシーと音を立てながら一人の男が言った。
「なんだかよぉ、顔を赤くしてたじゃねえか、あの女」
「あんたと話しててモジモジしてたよなぁ。こやってよう」
髭を生やし一本だけ前歯の抜けた男が、体をクネクネ動かしたので笑い声がわきあがった。
「あの女、李とか言う朝鮮野郎の女房やんか」
「まさか手ぇ出したんじゃねえだろう」
口から米粒を飛ばして言った。
「手を出したってどういう意味だよ。人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ」
言われた丸坊主の男は丸太のような腕で首筋をかきながらニヤリと笑った。
「だったら、なんだい、そのにやけた顔はさ」
「まあ、ちょっとな」
丸坊主の男は口をほころばせたまま言った。
「どういう意味だよ」
奥歯に物の挟まったような言い方に、全員が不満げな顔で丸坊主の口元を見つめた。



由愛
薄味チップス 9/11(火) 20:51:22 No.20070911205122 削除
 この団地には夫たちが知らない秘密がある。それはここに住む夫たちが知らない世界。
通称”大奥”と呼ばれるその団体は、団地に住む妻達で形成されていた。
そんな物が存在するなどと云うことは、入居するまで聞かされることがない。
だが、入居したとなれば夫が仕事に出かけた時間を見計らい、”遣いの者”がインターフォンを鳴らしてくる。
この団地で暮らす妻達は通称大奥に入ることを強制されるのだ。
断ることは出来ないのか? もちろんそれも出来た。
しかし、断った翌日から怪文書の張り紙、玄関前での生ごみの散乱など陰湿な嫌がらせは続く。
その結果、夫婦仲が悪くなった者、ノイローゼになった者など居たと言う。
この団地の住民なら大奥に逆らうな。それは最早そこに住む妻達の常識となっていた。

 川原木 由愛(かわらぎ ゆめ)の元にそんな大奥の遣いが来たのは5日前だった。
26歳の新妻であったとしてもこの団地に暮らすことになる人の妻。
大奥は当然のように由愛を誘い、そして断った場合の脅しの言葉を十分すぎるほど残していった。
実際由愛はその大奥の実態や活動を詳しく聞いたわけではない。何をする集まりなのかまったくわかっていないのだ。
わかっていることは、それがあるということ。
団地に暮らす妻達は全員勧誘を受けるということ。
そして、断れば陰湿な嫌がらせが続くということ。
幸せな生活を夢見てやって来た新婚の由愛が、夫に心配を掛けたくないと思うのは至極当然のことなのかもしれない。

 由愛は大奥へ入ることを決めたのだ。


 この日、由愛は最上階の一室に招かれていた。大奥と名乗っているからなのか、そこの住人は団地の妻達から”御台様”と呼ばれている。
それを初めて聞いたとき由愛は「大奥ごっこみたいだなぁ」と思わず笑ってしまいそうになった。
しかし、今はそんな気分にはなれない。
今立っているドアの向こうにはどんな人たちがいるのか? いったいこの団地で言われる大奥とは何なのか?
そんなことを考えれば不安な気持ちでしかなくなってしまう。

ピンポーン

 インターフォンを押した由愛を迎えたのは、40代ほどの女であった。
「川原木さん?」
「はい」
「そぉ〜 待ってたわよぉ さ・・お入りになって」
由愛は正直拍子抜けした。迎え入れたその女は妙に明るく、そして丁寧に由愛を中へと案内したのだ。
中に入ると、由愛を迎えた女の他に3人。
真ん中のソファーにどっかりと座り、ポテトチップスを頬張っている太った女が御台様であろうか?
その由愛の予想はみごとにその通りであった。
でっぷりと張り出た腹にはおそらくセルライト脂肪が溜まっているだろう。
「あらぁ 川原木さんいらっしゃい。今日は新しいお友達の川原木さんを歓迎しようとお誘いしたのよ?」
「どうぞどうぞ。お座りになって」
御台様や他の女達も由愛に笑顔だけを見せ、ここに入るまで持っていた不安な気持ちを和らげていく。

考えすぎだったんだ・・大奥って言うのはお友達が集まる時に使う呼び名ってことなのかも。

由愛は心の中でそう思っていた。
もしそうならば、近所付き合いは由愛も大切にしたいと思っていたのだから好都合。
「それじゃお言葉に甘えて・・・・」
由愛は4人の女達の輪に加わっていった。

 1時間、2時間と人妻達による世間話が続いていく。そんな中突然会話の内容が変わったのは御台所の言葉からだった。
「由愛さんスタイルいいわよねぇ 胸も大きいし」
「ホント。若いって羨ましいわぁ」
「私も胸大きいほうだけど由愛さんには負けてしまいますわ」
時間が経つにつれ、呼び名は”由愛さん”に変わっていた。
「そそっ・・そんなことないですよ」
確かに大きいことはわかっている。だが、同姓にとは言え目の前で堂々とそんなことを言われれば困惑してしまうのは仕方ないだろう。
それでも、そんな由愛の困惑など気にすることもなく女達の会話は止まらない。
「それだけ大きかったらブラジャー選ぶの大変じゃないですか?」
「きっと私たちにはわからない悩みなのよねぇ」
「サイズが大きいとお値段も結構違ってくるんでしょ?」
「どのお店で買ってるのかしら?」
あたふたすると云うのはこのことか? そう思えるほど由愛の困惑ぶりは明らかだった。
そして御代所から言われた一言

「どんなブラジャーなのか見てみたいわぁ」

「え?」と聞き返す間もなく回りの女達も騒ぎ始める。
「お若いからきっと可愛らしいブラジャーですよ?」
「何色のブラジャーなのかしら?」
「由愛さんならきっと白だと思うわ」
もうすでに回りは由愛のブラジャーを見てみるというのが決められたかのように話が進められていく。
これは女の他愛のないただの世間話。
由愛はそう自分に思わせるかのように心の中で呟きながら笑顔を見せる。
それでも女達は何分経ってもその話をやめようとしない。
「ね? いいでしょ由愛さん」
遂に由愛も根負けし、着ていた半そでのシャツの袖口から肩のストラップを引き出すと、それをちらっと見せる。
「こんなのですよぉ」
由愛も笑いを絶やさないようにおどけて見せながらそう言った。
しかし、御台所の要求はそんな見せ方ではない。

「シャツ脱いじゃいませんか? 由愛さんのブラジャーはっきり見たいわぁ」

ここで上半身半裸になれと言うことか? さすがの由愛もこれには
「そ・・そそ・・そんなこと出来ませんよ」
言葉を詰まらせながらもしっかりと否定する。
「いいじゃないのぉ」
「そうよ。ここには私たちしか居ないんですから」
「”ここでは”殿方に見られるわけでもないですからねぇ」
最後の1人。「ここでは」と思わず発言してしまった女に御台所はキリっとした目で睨み付ける。
それに気づいた女は、”はっ!”となりながらも由愛に気づかれないように何度も頭を下げている。
その女にとって興奮だったのは「ここでは」と言った発言を由愛は深い意味に取らず、聞き流したことだった。
「どうしてもダメかしら?」
「だって恥ずかしいじゃないですかぁ」
「そう・・・困ったわねぇ」

 御台所は困ったを連呼しながら立ち上がると、一度奥の部屋に消え、そしてまた戻ってくる。
何をする為に消えたのか? 由愛が見たのは握られている一枚の紙切れだった。
御台所はその紙切れを菓子類が並べられたテーブルの上に置く。書かれている文字を由愛に見えるようにだ。
「なっ! なんですかこれはっ!」
大きな瞳がさらにその大きさを増す。由愛の目に飛び込んできたのは見に覚えのない中傷文。

「川原木由愛には生ハメSEXフレンドが5人います」

見に覚えがないなどと云うレベルの話ではない。
まったくのデマ。有り得ない話なのだ。
そもそも由愛の男性経験は夫を入れて2人のみ。
1人目の彼氏とだって片手で数えられるほどしか経験がないのだ。
「何って・・・何かあったかしら?」
「いいえ。何もございませんわ」
「由愛さん何かあったの?」
「急に大きな声出されるんですもの・・・ビックリしますわねぇ」
女達はその紙がまるで見えていないかのように、先ほどの会話の続きを始めるのだ。
「シャツ脱いでブラジャー見せて頂けないかしら?」
「きっと由愛さんなら見せてくれますわ」
「お友達ですものねぇ」
「そうですよぉ お友達ですからそれくらい出来ますわ」
女達の笑顔は明らかに先ほどとは違っていた。クスクスと笑いあうように由愛の方を見ることもなく会話している。
「そっ・・その紙ですよっ! 勝手に何書いてるんですか!」
普段は温厚な由愛も、有り得ない中傷文を書かれていることと、女達のクスクスと笑いあう態度に爆発しそうになる。
「紙? あらぁ 御台様 確かにお手元に紙が」
「あら・・私としたことが・・折り紙をしようとして持ってきたの忘れてましたわ」
「御台様は折り紙がお好きですからねぇ」
御台所はその紙を手に取ると、紙飛行機を折り始めた。
「由愛さん・・・やっぱり見せて頂けないのかしら?」
「見せる見せないとかじゃなくて、その紙はいったい何なんですか?って聞いてるんです!」
「そう・・見せて頂けないってことかしらぁ 残念ですわねぇ」
折り終わった紙飛行機を手に、窓を開けると、ベランダに移動していく。
「なっ・・何をするの?」
「私ねぇ こうやって紙飛行を外に飛ばすのが好きなの」
そういうのが早いか、それとも紙飛行機が外に向かって飛ばされるのが早いか。
どちらにしても由愛にとって最悪の出来事であるということには変わりない。
「何してるんですかっ!」
由愛はベランダに飛び出ると、紙飛行機の行方を目で追いかける。
確かにそれは外に向かって投げられた。
「川原木由愛には生ハメSEXフレンドが5人います」と書かれた紙をだ。
紙飛行機はそれほど遠くに飛ぶこともなく、ひらひらと舞い落ちていく。
それを確認すると由愛は玄関のドアに向かって走り出すのだ。
もしこの団地に住む人妻が拾えば、大奥の悪戯だとわかることだろう。
しかし、拾うのがもしそうでない人間ならば。
「あら? 由愛さん急用?」
「すぐに戻っていらっしゃるのかしら?」
「由愛さんならきっとすぐに戻ってきてくださいますわ」
「戻ってきたらブラジャーだけじゃなく、ご自慢の大きなお胸も拝見させて頂けるかもしれませんわ」
由愛はそんな言葉を聞きながら、玄関のドアを開けると外に飛び出していくのだった。



千代に八千代に
信定 9/10(月) 14:06:08 No.20070910140608 削除
第十二章

 大正十二年九月一日、関東で大規模の地震が発生した。
川が氾濫し、橋や堤防が決壊し、土石流で大勢の人が流されてゆく。
悲鳴を上げる彼らは、もはや助かる術はない。
見渡す限りの建物は倒壊しているか、損傷を受けている。
そして火柱と黒煙が立ち上っていた。
再びの強風のせいもあり、ゴーッという音を立て猛火は更に勢いを増してゆく。
炎に包まれ身悶えする者、家の下敷きになる者、大きな地割れの中に吸い込まれてゆく者、凄まじい状況だった。

 多少の怪我をした子もいたが、庄次郎が誘導した子供達は全員無事だった。
あのまま中洲で遊んでいたら全員が川に呑み込まれていた。
とっさの判断が生死を分けたのだ。
母の悲劇が無かったら判断が鈍ったに違いない。
地獄図の中、庄次郎は為す術もなく呆然と立ちつくしていた。

 運良く燃えはしなかったが長屋も相当な打撃をうけていた。
下敷きになった人たちを助け出そうと、庄次郎ら動ける者は懸命な救済活動を行った。
命が助かった者も大勢いたが、駄目だった者も多かった。

 瓦礫を撤去する作業をしていた時、全身泥まみれの女がフラフラと近づいてきた。
ススで汚れた庄次郎の黒い顔に白い歯が見えた。
「ああ、ご無事だったんですね。良かった」
隣の奥さんだった。
安堵の表情を浮かべる庄次郎に倒れ込むようにしがみついた。
「あの人が潰れちゃった」
かすれた声でそう言うとワッと泣き出した。

 被害は東京市内だけで三十万戸以上が焼失、死者行方不明の総被害者は十万名を超えた。
地震の激しい揺れによる建物の倒壊や、大火災による被害のほかにも津波や山崩れによる被害も甚大だった。
何の前触れもない突然の大量死だった。
そして混乱のさなか情報の空白が生まれ、さまざまな流言蜚語が飛び交う。
動物園の猛獣や凶悪な囚人が脱走したなど。
中でも良家のお嬢様達が遊女となったという噂は、遊び好きな男どもにとっては、
居ても立ってもいられなかったに違いない。
血眼になって探したことだろう。

 震災当時、修羅の巷と化していたさなか、もう一つの悲劇が発生した。
朝鮮人が井戸に毒を投げ込む、数千人もの朝鮮人暴徒が東京に侵入し強盗、強姦、殺人を犯している、
荷物に爆弾や拳銃を隠している、大規模な火災は朝鮮人によるものだ、
果てはこの地震も朝鮮人が爆弾で起こしたなどと本気で信じる者もいた。
朝鮮人はもともとテロ活動を目論んでいて、火災被害の拡大は朝鮮人の暗躍のせいだということになった。
この時代ラジオの放送も行われていないこともありデマが肥大した。
恐れおののいた住民は朝鮮人狩りを開始したのである。
自警団の中には銃や日本刀で武装した者もいた。
おぼしき者にはザジズゼゾ、ガギグゲゴを発音させたり、歌を歌わせたりして朝鮮人の識別を行った。
罪のない朝鮮人が、地震と関係のない日本列島の各地で多数犠牲になった。
中には勘違いにより日本人も殺されたりもした。
特に憲兵らは朝鮮人虐殺に積極的に加担していたのである。

 魔女狩りを彷彿とさせるおぞましい行為であった。
母の時もそうだが、人は一瞬で残虐になれることを庄次郎は再認識した。
始めから比較的冷静だった警察は軍の力を借り、自警団や民衆の鎮圧に回った。
民衆の中には始めから流言だと思っていた者も少なくない。
庄次郎ももちろんその一人で、朝鮮人への虐待を必死で止めにまわっていた。
完全な日本語を話す庄次郎のことを疑う者は誰一人としていない。
だが目の前で知人や友人、家族をなぶり殺しにされ、残された朝鮮人たちのことを思うと胸が張り裂けそうだ。
そして日本政府はいまだに虐殺の事実認定すらしていない。

 庄次郎の勤める建設会社も、建物の倒壊や社員の死亡などで相当な打撃を被った。
五分刈りの現場監督や留造は、庄次郎の姿を見つけると抱き合って喜んだ。
インフラ整備、道路拡張などの大規模な復興計画に便乗し、庄次郎の会社は難を乗り越えることになる。
そして一年で見事な復興を遂げた。
この一年間、庄次郎は目の回るような忙しさであった。

「あんた、ここ来てどのくらいだ?」
でかい椅子に偉そうにふんぞり返っているのは庄次郎の雇い主、いわゆる社長である。
その横に立っているのは五分刈りの現場監督だ。
作業途中にその現場監督に呼び出され、庄次郎は本社ビルまで連れて行かれた。
「十年くらいですか」
先に五分刈りが口を開き、庄次郎の顔を見て口だけで「な」と言った。
「はい、そのくらいになります」
故郷から離れてもうこんなになるのか。
年をくうはずだ。
聞かれて初めて歳月の長さを感じた。
墓はどうなっているだろう?
よっちゃんや柴崎は元気でやっているかな。
会いたいな・・・・・・

「よーくやってくれてるそうだな」
思いにふけっていた庄次郎は社長の声にハッとした。
五分刈りは自分のことのようにウンウンと頷いている。
庄次郎はこそばゆい思いであった。

「この男の推薦もあってな、あんたに現場監督をやってもらいたいんだ」
五分刈りは嬉しそうな顔で、でかい顔を大きく上下させていた。



卒業後 13
BJ 9/8(土) 05:20:52 No.20070908052052 削除

 繁華な通りを抜け、やや寂れた路地に入った四人は、雑居ビルの一角にあるバーへ入っていった。
 明子は髪をほどき、サングラスをつけた。気休め程度の変装だが、何もしないよりはましだ。その格好でしばらく辺りをうろついた後、明子は先程赤嶺たちが消えたバーへと足を踏み入れた。
 うらぶれた感じの店だった。時刻が時刻なのでまだ客が少ないのは分かるが、広々とした店内が妙に寒々しい。カウンター向かいのスペースには、ビリヤード台や古そうなビデオゲームがある。『告発の行方』に出てくる、ジョディ・フォスターがピンボールマシンの上で犯されたあのバーを明子は思い出した。
 赤嶺たちは店の奥の四人掛けの座席を陣取っていた。明子はなるべく目立たぬように、少し離れた席についた。幸い、一番明子に気づく可能性のある赤嶺はこちらに背を向けた格好で座っている。赤嶺の左隣に佐々木、正面に金倉が座り、その金倉の右横に瑞希は腰掛けている。
 瑞希。なぜ彼女が赤嶺といるのか。あの(赤嶺流に言えば)オアソビはまだ続いていたのか。あれからもう二年の月日が経っている。

 ずっと―――続いていたのだろうか。

 三ヶ月前に岡村と会話の中で瑞希と彼女の夫のことに触れた際、明子は二人の現状を赤嶺に聞いてみようと思った。しかし、あれからなかなか赤嶺に会う機会もなかったし、明子自身、今後の人生について悩んでいたので、いつしか聞く機会を逸してしまっていたのである。
 注文したジントニックが来た。
 明子はそっと赤嶺たちの様子を窺う。
 赤嶺は悠々と煙草を吹かしながら、グラスを傾けている。代わって忙しく口を開いているのは、上っ調子の金倉だ。瑞希は顔をうつむけてじっと座っている。佐々木は―――
 明子はごくっと喉を鳴らした。
 佐々木はハンディタイプの小型ビデオカメラを構えていた。

 最近人気の素人(と銘打たれた)企画モノのAVで、最初にその素人(と紹介された)女性がホテルの一室で延々と“面接”を受けるシーンが冒頭にある。カメラを構えた“面接官”の男が、女に色々と質問するのだ。話題の中心は無論、彼女の普段の性生活である。いわく「セックスは好きか?」「どんなプレイを好むか?」「セックスは月何回?」「この前したのはいつ?」「3サイズは?」「よく感じる場所はどこ?」「アナルセックスの経験は?」「複数プレイに興味はある?」

 まるで、その“面接”場面のようだ―――

 明子は感じた。もちろんここはホテルではないし、明子の位置からは彼らの喋っている声までは聞こえない。ただ、金倉が何かを言う度、瑞希が小さく口を開いて何事か答えているのは分かる。
 そして、そんな瑞希の姿を、佐々木のカメラが捉えているのも。
 不意に、金倉が鞄から大きめの包みを取り出し、瑞希へ渡した。瑞希はその包みを受け取ったが、どうしていいか分からないように、戸惑った顔で金倉を見つめ返した。にやにやと笑みながら、金倉が再び何かを囁きかける。
 包みを胸に押し当てた格好で、瑞希はまだ戸惑っている。やがて顔を上げ、彼女は斜め向かいに座る赤嶺を見た。
 まるで相席した他人のようにひとり煙草を咥えている赤嶺が何を言ったのか、それとも何も言わなかったのか、明子には見えなかった。見えたのは、促すように顎をしゃくった赤嶺の仕草だけだ。だが、その仕草をぼんやり見つめた後で、瑞希は立ち上がった。そのまますぐ近くのトイレに消えた。
 まだにやけたままの金倉が、瑞希の消えたトイレを見、それから赤嶺に向かって何か言った。
 明子は落ち着かない気分で杯を舐めた。煙草に火を点ける。煙草を教えられたのも、何メートルか先で背中を向けている男からだったな、とふと思う。

 煙草の味が苦くなる。

 瑞希が―――戻ってきた。

 最初、その出てきた女が瑞希だと、明子は気づかなかった。彼女の服装がすっかり変わっていたからだ。

 瑞希は黒い網状のシースルーの上掛けの下に、ノースリーブの黒のドレスを身に着けていた。胸元の切れ込みが深く、シースルー越しに滑らかな乳房の上部が見えている。
 黒いドレスの裾から伸びる脚が、妖しいほど白かった。

 突然現れた、どう見ても夜の女としか思えない服装をした女に、店内の幾人かの客の目が集中した。その視線を避けるように、瑞希は急いで席へ戻った。色素の薄い肌が紅潮しているように見えた。
 おそらく先程までの彼女の衣服が入っている包みを、瑞希は金倉に渡した。受け取って、さっそくその包みにさし入れた金倉の手が、ブラジャーと、それからショーツらしき白いものを取り出した。今、瑞希はどう見てもブラジャーを着けてはいないが、金倉が差し出した先程の“着替え”には別のショーツまで用意されていたのか。それとも、今の瑞希は下に何も身に着けていないのか。分からない。けれど、脱いだばかりの下着を見せ付けるように広げてみせる金倉の傍らで、紅に染まった頬をうつむけ、肩を竦ませている瑞希の姿に、明子はその答えを見たような気がした。

 “素人”を着替えさせたところで、“面接”はその後もしばらく続いた。金倉はどんどん馴れ馴れしくなり、ついには瑞希の剥き出しの肩に腕を回した。瑞希の躯が目に見えて強張る。肩に回した金倉の手が動き、衣服越しの乳房に触れて、形を確かめるように何度かさすった。それでも瑞希は抗わない。
 ビデオカメラの冷たいレンズが、そんな二人の様子をねっとりと追っている。
 赤嶺一人が、どこ吹く風といった様子で、静かに酒盃を干していた。

 いったい、これは何の冗談なのだ―――

 見るに耐えなくなって、明子は目を逸らし、瞳を閉じた。
 瞼の裏に二年前の瑞希の夫が―――幾度か肌を重ねたこともある彼の姿が蘇る。
 いつもどこか暗い目をしていた彼。

 ―――あなたはこのことを知っているの?

 胸の内で、明子は独りごちた。


 ふと、赤嶺が立ち上がった。いつの間にカメラをしまった佐々木と金倉もそれに続く。瑞希も立ち上がり、四人は揃って歩き出した。
 出て行くとき、男たちの背後について歩く瑞希に、酔客の一人がひゅうっと冷やかしの口笛を吹いた。瑞希の躯がびくっと震える。顔を伏せた彼女は、急ぎ足で店を出て行った。
 扉の閉まる音が背後で聞こえた。明子は脱力した身体を椅子深くに沈めた。なぜだか、ひどく疲れていた。

「―――明子」

 不意に、聞き覚えのある声が後ろからして、明子は驚いた。
 振り返ると、赤嶺が一人で立っていた。
「今日はオフなのか? 駅からずっとつけてきていたようだが」
「・・・・いまの、何?」
 平然と話す赤嶺の表情に畏怖を感じながら、明子はようやく言った。
「―――ただのオアソビだよ」
 さらりと答え、赤嶺は肩をすくめた。
「どうして―――?」
 何を聞こうとして「どうして?」と言ったのか、自分でも分からなかった。
 明子の問いに、赤嶺はひどくつまらなさそうな顔をした。
 酷薄な声が響く。

「遊びに理由が必要なのか?」

 それだけ言って。
 赤嶺はくるりと踵を返した。
 声もなく、明子はその背中を見送るしかなかった。身体が凍りついていたから。



 ―――――――――――――――――――――
 ――――――――――――――――
 ―――――――――――

 義姉が失踪した。
 そのことを告げて以来、兄からの連絡はない。京子もなんとなく電話をかけるのをためらっている。
 あのとき、京子の報告を聞いて、兄はただ一言、
「・・・・・・そうか」
 と言った。義姉がいなくなった原因に心当たりがあったのか、それともただ虚脱して言葉を失っただけなのか、京子には判別できなかった。
 ただ、「警察に届けるか?」と京子が尋ねたとき、兄は「事件性がない自主的な失踪の場合、警察は動かないよ」と答えた。その言葉を思い返すと、兄は義姉が「自主的に」出て行ったことを確信していたように思える。

 まったく気づかなかったが、兄たちは夫婦間に何か問題を抱えていたのだろうか。

 息子の遼一は遼一でずっと様子がおかしいし、この頃京子は頭が痛い。


 ―――そういえば、今日は帰りが遅いわね。


 京子は時計を見た。もう夕方の六時半。図書館に寄ったにしても、すでに閉館時刻は過ぎているはずだ。
 義姉のことが頭にあるだけに、京子は何だか厭な胸騒ぎがした。


 そして―――
 結局のところ、京子の厭な予感は現実のものとなり、遼一はその日が終わっても家に戻ってくることはなかったのである。



<感想BBSのほうで告知させていただきましたが、しばらく投稿を休みます。9月末か10月頭には再開し(たいと希望してい)ます。   ・・・作者>           





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千代に八千代に
信定 9/7(金) 17:09:19 No.20070907170919 削除
第十一章

 仕事も安定し庄次郎は平穏無事な日々を送っていた。
その日はやや風が強く、剥がれかかっているトタン屋根がバタバタと音を立てていた。
どういう訳かその音が心地よく、よーく眠ることができて少し朝寝をした。
ここ二ヶ月ほど休みなしで働いていて、ようやく取れた休日だ。
せんべい布団から起き上がる。
ふんどしとランニングシャツが汗で濡れて気持ちが悪い。
井戸水で体を拭こうと思い長屋から一歩踏み出すと、近所の奥さん連中が井戸の周りで話しているのが見えた。
しまった、と思ったが奥さんの一人と目が合ってしまったので仕方なく桶を持って外へ出た。

「あら、庄次郎さんおはようございます」
隣の部屋の奥さんだ。
年は庄次郎より幾らか上と思われる。
始めから庄次郎のことを下の名で呼ぶ。
庄次郎はこの奥さんが苦手だった。
目鼻立ちの派手な顔で、豊満な体を妙にクネクネとさせ、常に色香を放っている。
着物の胸元をややはだけさせ、ふくよかな胸の谷間に幾本もの血管の青筋を見せていた。
留造に連れて行かれた遊郭で、庄次郎の童貞を奪った遊女に似ていたので、
初めてこの奥さんを見たときは卒倒しそうになった。
奥さんが庄次郎に感心を持つようになったのは、その狼狽えた挙動不審な姿を見られたせいかもしれない。
まるで蛇に睨まれた蛙のようだ、と全くもって情けなかった。
食い物などを持ってきては家の中にまで上がり込んで、庄次郎に色目を使うのである。
そして何より勘弁して欲しいのは、隣との隔たりが薄い板張りだから、夜の営みがまる聞こえなのだ。
昨夜の奥さんのかすれた悶え声を思い出し、庄次郎は生唾を呑み込んだ。
「おはようございます」
裾から少し覗くムッチリとした太ももも目に入ったが、庄次郎はすました顔で挨拶を交わした。

 井戸に釣瓶を落としながら、痛いほどの視線を感じていた。
何やらヒソヒソと話し、クスクスと笑っている。
耳がカッと熱くなるのを感じた。

「相変わらずいい男ねぇ」
ビヤ樽のような奥さん口を開いた。
そーら来た、勘弁してくれよ。
「そーよ、うちのとは大違いだわ」
背の高い奥さんが甲高い声で豪快に笑った。
「ねぇ、奥さんはまだもらわないの?」
「選り好みしているのよねぇ。こんなにいい男だもの」
「でも本当はいい人いるんじゃないの?」
「あたしが独り身だったらさぁ、こんないい男放っておくものですか」
堰を切ったように質問が飛び交った。
仕方がないので庄次郎は振り向き「いや、そんなことはないです」と言わざるを得なかった。
またー、うそでしょ、などと言い合い、庄次郎の体をパンパンと叩いてカラカラと笑っている。
「うちの宿六よりずっと強うそうだもの、あっちの方がねーえ」
隣の奥さんが庄次郎に流し目を送り、赤い舌でやや厚めの唇をペロリと舐めてからニタリと笑った。
その亭主が弱いわりには、昨夜は結構長かったことを喉をカラカラにしながら思い出していた。
「カボチャ煮込んだからあとでもってってあげるわね」
私が食べさせてあげるからさぁ、と付け加えたので、ドッと笑い声が湧上がった。
あそこも大きいわよきっと、などど背後で囁くのを聞きながら、庄次郎は桶を抱えて這々の体で退散した。

 奥さんが来ないうちに庄次郎は外へ出た。
空を見上げると薄い雲がゆっくりと流れている。
風が弱まってきたようだ。
行く当てもない庄次郎は河川敷に出てみた。
数人のわんぱく小僧が、中洲の原っぱで棒きれを振り回して遊んでいた。
庄次郎は土手に座りしばらく見ていた。

 母が死んだ日も今遊んでいる子供達と同じように、戦ごっこをしていた時だった。
二十年以上も前のことだが、その日のことは鮮明に思い出される。
もうちょっと待っててくれ。
立派な墓を建ててやっから。

「駄目だよシン坊、切られたら死ぬんだぞぉ」
竹刀で切った子供が口を尖らせて声を張り上げた。
切られたシン坊が、すぐに起き上がろうとしていたからだ。
周りの子供達も「そうだ、そうだ」と怒っている。
立ち上がろうとするシン坊の襟首を掴み押し倒した。
「いてーっ!待って、待ってって・・・・・・」
庄次郎はもぐもぐと動かしていた口から握り飯を吹き出した。
子供の遊びはあの頃と何にも変わっていない。

 その時「ちょっと待ってよ、ねえ、あれ見てよ」と、シン坊は小さな指を空に伸ばした。
あの時のよっちゃんと同じだ・・・・・・
本来なら苦笑するところだが、庄次郎は眉をひそめた。
胃の辺りがキュッと痛んだからだ。
不満げな顔をしたまま空を見上げる子供達と同じように庄次郎も空を見た。
「うわー!すっげー・・・・・・」
庄次郎も思わず声を上げそうになった。

 鳥だった。
天を覆うほど夥しい数の鳥が頭上を横切ってゆく。
手を伸ばせば届くほどの低い位置を飛んでいる鳥も沢山いる。
鳥自らが巻き起こす風で、抜け落ちた色とりどりの羽が乱舞する。
鳥は凄まじい勢いで遙か彼方へ飛んでゆく。
只事ではない。
全身が粟立った。
「お前らこっちへ来い!早くしろぉ!」
庄次郎の怒鳴り声を聞いた子供達は、ワーッと声をあげてこちらに走ってくる。
「走れ、走れぇ!」
庄次郎は泣き叫ぶ子供達にハッパをかけ、倒れた子供を抱きかかえ、だだっ広い野原に誘う。
この時の庄次郎の処置は正しかった。

 地響きが聞こえた。
「恐いよー」
子供達は庄次郎に抱きついてくる。
尋常でない地響きがこちらに向かっていることを肌で感じた。
地面が吼えている、と思った。
直後、凄まじい勢いで地面が揺れた。
次の瞬間、まるで水面のように地面が波打った。
体がフワッと浮き上がった。
小さな体の子供が、地面に弾んだボールのように宙に飛んだ。
庄次郎は必死で子を受け止める。
爆弾を落とされたかのような轟音と激しい揺れに、今度は全員が宙に放り出され地面に叩付けられた。
ギャッと言う子供の悲鳴が聞こえた。
庄次郎も強かに腰を打ち付けた。
それでも庄次郎は子供達を目で追い、必死で手を伸ばした。
立ち上がることはもはや不可能だった。
庄次郎は地面に指をめり込ませ、草の根っこを握りしめ無我夢中で踏ん張った。



ラベンダーの香る頃
すう 9/7(金) 01:38:28 No.20070907013828 削除
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9時過ぎ、佐藤は帰りの電車の中で夕刊を広げ社会欄を
めくろうとしたとき思わず指が止まり短い記事に目が釘付けになった。
「12日、浦和署は埼玉県さいたま市浦和区の、無職、赤爺 竜二と
 黒婆 剛を暴行容疑で逮捕した。
二人は2日M団地の駐車場で同じ団地に住む平凡次さんと口論になり全治2ヶ月の
重症を負わせた。
「M団地といえば、私が住んでる団地だが・・」
もう一度目を通しても記事は3行で終わっていた。
確か、平さんと言えば息子さんが大輔と同じ塾友達だったはずだが・・
一瞬心の奥底に何か得体の知れない不安が鎌首を持ち上げた。
夕刊を捲ろうとしたとき電車はホームに滑り込み、そのまま鞄に突っ込んだ。
家に着いたのは10時過ぎで冷蔵庫から缶ビールを取り出しながら
自宅の夕刊を見たがその記事はなかった。
「ねえ・・今日、大輔の塾の進学相談に行ってきたわよ・・」
妻の美由紀は冷めた夕食をレンジに入れながら此方を向いた。
「それで・・・なんと言っていた、塾の先生・・」
「今のままでは、第一志望の中学はむりだって・・」
妻は、レンジから出した皿からラップを捲りしょうが焼きをテーブルに置いた。

「大輔と一緒に塾に行ってる、平くんのご主人の名前・・なんと言ったかな?」
言い終わると同時に私は缶ビールの蓋を引き上げた。
流しで食器洗い機に食器を詰めていた妻は一瞬手を止めた。
暫くして後ろを向いたまま「知らないわ・・どうかしたの?」
そのまま、食器洗い器のドアを閉めた。
「いや・・なんでもない・・」
---------------------------------------
2週間後、自治会の引継ぎに会に参加した私は、打ち上げ会の席で
後任の山本さんから突き出されたビールにコップを向けていた。
「ご苦労さまでした」山本さんは70を超えたとは見えない歯切れの良さで
話しかけてきた。
「確か・・息子さん、孫と同じ学年でしたね・・・」
「ええ・・来年・・中学で・・私は公立校でもいいと、思ってるのですが・・妻が・・」
私の返事が終わらないうちに、山本さんは煙草に火をつけると
「ところで・・・ご存知ですか??」平さんのこと・・
「いえ・・そういえば、新聞に似たような名前が・・」
「・・・ここだけの話ですが・・奥さんのことが原因らしいですよ・・」
「平さんの奥さんがですか?」
「・・ええ・・なんでも・・たちの悪い男と付き合っていたらしくて・・」
「平さんが、男達と合って、それで・・あのようなことになったみたいです・・」
「なんでも・・平さんの奥さんと一緒にもう一人奥さんが、男達から脅されていたとか・・」



妻の入院 94
医薬情報担当 9/6(木) 17:58:35 No.20070906175835 削除
 2人で見つめるはずの夕陽はとっくに落ちていました。あたりは、夜に包まれています。
 もはや、これまででしょう。
 砂を払い、トボトボと歩き出しました。東京へは日帰りできる場所ですが、もちろん、あの日のホテルは押さえてあります。
旧式の鍵をガチャリとまわした瞬間、気がつきました。
『この匂いは』
 懐かしい匂いが、真っ暗な部屋の中に広がっていました。
 コロンでもなく、化粧品の匂いでもなく、私の心を一番強く揺さぶるその匂い。
 廊下から漏れる明かりで、スイッチを手探りした瞬間、部屋の奥から唐突に声が聞こえました。
「お願い、明かりをつけないで。どんな顔をすればいいのか、わからないの」
 扉を後ろ手で閉めると、部屋の中は、外の看板の明かりでほんのりと照らされています。ベッドの脇のイスに肩を落として座るシルエットをみつけました。
「ごめんなさい。今さら合わせる顔なんて無いのに。来ちゃった…」
 言葉の終わりが震えるのは、涙のビブラートかもしれません。
「どんな顔もいらない。3ヶ月ぶりに戻った旦那を迎える奥さんの顔をしてよ」
「だって、私、酷いことをしてしまった」
「うん、本当に酷いよ。なんてことをしてくれたんだ」
 しょんぼりとうなだれる妻に、淡々とした声で、ゆっくりと近寄ります。
「ずいぶん待たされちゃった。おかげで晩ご飯、食べ損なっちゃったじゃないか。予約してたんだぜ、レストラン」
「あなた…」
 後ろに回り込むと妻の顔のそばに右手を差し出しました。妻は、その手に愛おしげに自分の手を重ね、そっと、頬にあてました。
 妻の左手にはリストバンドと見まがうような、真新しい包帯が夜目に浮かび上がります。つまりは、妻の苦しみは、私の想像以上のものだったのです。
 妻の髪は、見たこともないほど短くカットされていました。
 短い髪に邪魔されずに触れる頬は、ずいぶんと痩せこけていました。
「私、どうしたら。どんな顔して謝ればいいのかわからなくて」
 ずいぶん薄くなってしまった気のする、華奢な肩を抱き寄せて、すべすべとした髪の毛を梳くように撫でつけます。
「愛してる」
「ごめんなさい」
 妻は、その言葉を言うのを恐れているかのように、ごめんなさいと繰り返します。
「美穂?」
「ああ、ごめんなさい」
「美穂。僕は君を愛してる。何があってもだ」
 窓からこぼれてくる灯りの中で、妻の目の前に顔を寄せます。
「こっちを見て」
 目を落とそうとした妻に叱りつけるように命じました。恐る恐ると言った動きで私と目を合わせます。妻の肩が震えていました。
「愛してる」
 感触を忘れそうになるほど久しぶりの口づけを、妻は、愛しげに受け入れました。
 舌を差し入れ、妻の口の中、全てを味わおうと、長く長く、そして、深くキスをしながら、半ば意図的に、唾液を妻の口中に流し込んでいました。
 妻は、それを一口ごとに、コクリ、コクリと飲み込みます。不思議なことに、妻がコクリと飲み込むごとに、肩の震えが小さくなっていきました。
 お互いの舌が痺れきってしまうほどの時間が経ってから、ようやく唇を引いたのです。
「愛してるよ」
「愛してます、私も、でも、でも、でも、ごめんなさい、どうしたら、ああ!」
 闇の中で妻にくっついている頬には、熱いものが流れてくるのが分かります。
 何も言わずにギュッと抱き留めてから、静かに語りかけました。
「美穂。あやまる必要なんてない。そのままでいいんだ。ただ、このままだと、美穂は、ずっと引け目を感じてしまうだろ?だから、罰を与える」
「罰?」
「そう、お仕置きだ。美穂、旦那さんのお仕置きを受けるかい?辛いよ」
 辛いよと付け加えると、妻は黙って頷きました。妻にとっては、お仕置きが辛ければ辛いほど、心が楽になれるはずでした。
「じゃあ、いいね。お仕置きを受けるね」
 耳元で囁くと、妻の肩がビクッとすくみます。それでも、コクリと頷く妻のシルエットには妻の決意と、そして、明らかにホッとしたという気配が込められていました。
「僕たちは夫婦だ。平等なパートナーだよね。でもね、これから、セックスの時だけは違うよ」
「え…」
「セックスの時だけは、僕がご主人様。君が奴隷になるんだ。ご主人様の命令は絶対だよ。どんなに恥ずかしい命令も、これからはイヤと言ってはいけない」
「そんな」
「それも、一生だよ。これから、僕と生きていく人生で、セックスの時は、生涯僕の奴隷となるって誓えるかい?」
「生涯、あなたの…」
「お仕置き、やめるかい?」
 即座に首を振ります。
「お仕置き… してください」
「じゃあ、言ってごらん、生涯、僕の奴隷だよ。セックスの時は、僕の命令を何でも聞くって。言えるね」
 コクリと頷きます。
「愛してる。美穂。僕の美穂、さあ、誓って」
「あぁ、愛してます。ごめんなさい。愛してるの。あなた、あなた、あなた。生涯、何でも言うことを聞くわ、何でも」
「言ってごらん。美穂。セックスの時、美穂は僕の何?」
「ど、奴隷です。あなたの、奴隷です。一生涯。ああ、お願い、好きなようにして」
「死ぬまで、離さないよ。僕の奥さん。そして、僕の可愛い奴隷」
「あなた… いいの、私が奥さんで? ああ、あなた、愛してる」
「愛してるよ。僕の奥さん、僕の奴隷」
 ピタリと重なった唇が、とても柔らかで、しっとりと吸い付いてくるように感じました。
「さ、奴隷のためのレッスンのワンだ。久しぶりに君の裸を見せてもらおうか」
 コクリと頷いてから、一瞬のためらいもなくボタンを外し始めた妻の瞳は、窓の外との光を反射して、私だけを見つめていました。
 今、長い入院生活から、妻をこの手に取り返したのです。



卒業後 12
BJ 9/6(木) 17:26:54 No.20070906172654 削除

 この喫茶店にはたまに来るが、いつもビートルズばかり流れている。今日は“ラバー・ソウル”、今流れているのは“ノーウェアー・マン”だ。

 気だるいジョン・レノンのヴォーカルを聴きながら、明子は外の景色を眺めた。知らないうちに木々の葉が淋しく色づき始めている。
 秋が来ていた。
 明子はこの季節が嫌いだ。というよりも、その次にやってくる冬が嫌いだった。
 明子の郷里は盛岡で、もちろん冬の降雪はこの街と比較にならない。けれど、以前の明子は冬を嫌っていなかった。明子が嫌いなのは、都会の冬なのだ。普段は隠されている都会のざらついた地肌が、冷たい風に晒されて剥き出しになるような冬が。

 “ノーウェアー・マン”―――行き場のない男。

 今の職をいつ辞めるべきか、明子はしばらく前から悩んでいた。むろんAV女優は長く続けられるような仕事ではないし、年齢的にもそろそろきつい。何より、明子のモチベーションが尽きかけていた。赤嶺に連れられてこの世界に足を踏み込んだが、近頃はやはり自分にこの世界の水は合わないとひしひし感じていた。
 かといって、辞めてからどうするかが、また問題なのだ。一度AV女優としての職歴を持ってしまった女は、辞めた後も完全にこの世界から抜け切ることが出来ず、ストリップや風俗など、周辺の業界で働かざるをえなくなったものが多い。今のところ、明子にそういう道を辿る気はない。
 盛岡の実家とは、何年も前から絶縁状態だ。

 ―――行き場のない女、か。

 くすりと明子は自嘲の笑みを漏らした。とうに“ノーウェアー・マン”は終わり、店内のスピーカーからは“ミッシェル”が流れている。甘いようで、どこか冷めているポール・マッカートニーの歌声は、明子の心のどこか深い部分をぞわりと撫であげた。


 明子は店を出て、都会の雑踏を駅まで歩いた。
 駅に着いたとき、見覚えのある男たちの姿が目に入った。
 二人とも、S企画の人間だ。一人はカメラマンの佐々木、もう一人は“男優”の金倉だった。佐々木は痩身に趣味の悪い黒ぶちをかけ、趣味の悪い長髪の髪型をした趣味の悪い三十路男で、金倉は出来れば撮影でこの男との絡みは遠慮したいと思わずにいられないような、下腹のでっぷりと出た中年男である。
 S企画の中でも特に秋子の苦手な二人組が、よりにもよってこんなところで何をしているのか。考えるよりも前に、彼らは振り返り、駅から現れた待ち人に手を振った。
 その待ち人―――赤嶺はいつものように悠然とした足取りで軽く手を上げ、二人のもとに近づいていく。明子が目を疑ったのは、その背後について歩く女性を見たときだった。

 瑞希だった。

 二年ぶりに見る彼女は、品のいい水色のブラウスに白の薄いカーディガンを羽織り、濃紺のロングスカートを履いていた。二年前よりもまた少し痩せた気がする。頬の肉がやや落ちて、切れ長の目の縁取りが濃くなったようだ。以前は清楚なお嬢さんがそのまま歳をとったような女性だったが、今、明子の目に映る瑞希は、ぱっと見はあまり変わらないのに、どこか凄艶な雰囲気が漂っていた。
 明子は無意識のうちに動いて、彼らに見つからないような位置に隠れた。
 佐々木と金倉は初めて瑞希に会ったのか、赤嶺が間に立つ感じで何事か喋っている。じろじろと品定めするような目つきをした佐々木、はしゃいだ感じの金倉の姿が目に入る。瑞希は静かに彼らに頭を下げていた。
 やがて、彼ら四人は揃って街のほうへ移動し始めた。

 わけが分からない。なぜ彼女がここにいるのか。なぜ赤嶺といるのか。赤嶺はなぜ、瑞希を佐々木と金倉に会わせているのか。
 分からないけれど、胸騒ぎは耳元に直接届くほど強かった。
 だから、明子は彼らに気づかれないよう、慎重な足取りで四人の後をつけた。



悪夢 その77
ハジ 9/5(水) 23:32:32 No.20070905233232 削除

 月の光はあくまでやさしく、万人にふりそそぎます。痛いほどの静けさも、心を乱すほどではありません。
夜の生き物たちさえ、寝過ごす勘のある真っ暗な黒。

 ―――ただ、その場所だけがいつもとちがう夜。

 狂乱の宴は果てることなく、つづきます。

 明滅する紅蓮。
 蠢く影。
 迸る汗。

 炎にあぶられるように、複数の人影が舞います。
 秋穂を中心とした性の曼荼羅はまだまだ終息の気配をみせません。供物のように据えられた彼女は力なく、その場で揺れています。
 少年のひとりに半ば抱きかかえられる形で下から貫かれ、突きあげられ、吐く息は白く―――。
 半ば目を閉じた横顔は冥想状態を思わせるほど、穏やかで口もとにはほのかに笑みさえみえるようでした。

 アルカイックスマイル―――そう、たしかに妻は微笑んでいるようでした。
 他の少年たちに口を吸われ、耳を噛まれようと、それは変わりません。いまの秋穂はひとり苦しみも辛さも突き抜けたところにあるようでした。



「条件づけ―――」
「そう。反射とも呼びます」

 羽生は私の疑問に答える形で、口を開きました。

「『パブロフの犬』の話はご存知でしょう。原理はあれと同じようなものです。もちろん、それほど単純な話ではありませんが―――」

 目を丸くして黙り込む私に構わず、羽生は持論を展開します。

「ある条件を満たすと、それは発現するように仕込まれている。この場合は言葉ですが、奥さんはことごとく、それに反応を示している」

 ここで一旦間を置きます。私に考える時間を与えるように。

「そのことからも事実はあきらかです。スイッチが切り替わった瞬間の堂の入った演技はたいへん迫真に満ちていた」

 羽生は太い指を絡ませ、その上に顎を乗せました。そして、ニヤニヤとした顔で私を眺めます。
 私は不快さより、不安におしつぶされそうでした。

「私には君の話がさっぱり見えない。思わせぶりは止めて、結論を言ってくれないか」
「結論―――ですか」

 羽生は私から目を離しませんでした。

「それはもう、あなたにはわかっているのではないですか」
「なにを―――」

 私の声は途中から掠れてしまいました。言葉にならないほど、私はぶるぶると震え出していたのです。

「あなたの奥さんはある訓練を受けているものと思われます」

 容赦なく、その声は私の脳に届きました。そして無情にも、新事実を告げたのです。

「秋穂さんを調教した者がいる」



妻の入院 93
医薬情報担当 9/5(水) 20:34:58 No.20070905203458 削除
 目の前で夕陽が、落ちようとしていました。
 結局、真実を妻には語るまいと決めました。これほど妻を苦しめることになる入院が、そもそも、仕組まれたことだなどとは、言えたものではありません。
 鎮静座に次ぐ鎮静剤、そして、つきっきりで世話を焼く山村看護師と、真夏のおかげで、妻がようやく食事を受け入れるまでに1週間かかりました。
 二人が妻とどんな関わりをしたのか、妻に何をどう話したのかは分かりません。山村さんと真夏が、しっかりサポートしてくれたそうです。
 なぜ伝聞になるかと言えば、私が緊急入院していたからです。
 さすがに、隣町の病院に入りましたが、脾臓破裂。外的要因による腸閉塞。膵臓と肝臓がやはり破裂一歩手前。腎臓は腫れ上がって機能障害を起こす一歩手前。外傷性の潰瘍は胃や腸に無数にできているようでした。
 あの男は、ボクサーとしてはさすがの力を持っていたようです。つまりは、内臓全体に手ひどいダメージを受け、集中治療室に1週間。その後の加療に三ヶ月の入院生活が必要だったのです。
 意志の力だけで立ち続け、パンチを浴び続けた結果がこれでした。
 集中治療室を出た後に、恐らく病院が通報したのでしょう。警察が事情徴収に来ました。3人組に襲われたと説明し、警察の求めるままに、犯人の人相を詳しく説明しました。ただし、その「3人組」の人相は、東京本社の同僚達の顔を寄せ集めたものでしたが。
 田舎の警察のことです。早く忘れたいから被害届は出さないと言うと、ホッとして帰って行き、それっきり音沙汰無くなったのも事実です。
 結局、真夏の願いは叶えられたことになります。
 東京のマンションで、むち打ち症のギプスをハメながら、国家試験の勉強にいそしんでいるあの男に、真夏は今、かいがいしく世話を焼いているはずでした。
 慰謝料も、警察沙汰も、病院長の提案の全てを、言われるがままに受け入れた後で、たった一つ出した条件が、真夏とあの男の結婚でした。
 いったいどうして、と訝る父親には「あいつが結婚していないと、また、美穂に手を出すかもしれないから」と言い含めれば、嫌も応もなく、話は進みました。
 実際の式は、医者になってからでしょうが、未来の妻という立場になった真夏は、早くも、あの男をコントロールし始めているようです。ひょっとして、いつの日か、あの男が自らの過ちを理解できる日が来るのかもしれません。長距離をものともせずに、何度も見舞いに来てくれた真夏を見ていると、そう思えるのです。
 もっとも、その真夏の見舞いも、先月で私がストップをかけました。
「つわり」のある身で、病院に来るのは、いくら何でも辛そうだったからです。
 最初は、否定しました。
「奥様、妊娠してらっしゃるようですね。旦那さんも、早く治さないと」
 病院の看護師達にそう言われたと話すと、渋々ながら認めました。妊娠もそうですが、真夏は、看護師達にすっかり私の妻だと思われていたのです。
 もちろん、初めて見舞いに来て、看護師に挨拶した時、真夏自身が否定しなかったこともあります。しかし、何よりも、見舞いに来る度に身の回りの世話をかいがいしく焼き、その上、身体を重ねたことのある者同士の微妙な気安さが、周囲に、誤解を与えたようなのです。
 ただ、お腹の子どもの父親が、誰なのか。まさか、ほんとうに私は「旦那さん」ではないのか、本当に父親はあの男なのか、という疑問がありました。
 いくら聞いても真夏は、私が父親だとはいいません。
 初めて、真夏と身体を重ねた日、中に出して良いといった時の真夏の真剣な表情が、私にはどうしても気になったのです。
『あるいは、ひょっとして』
 あの日、真夏の身体は「安全日」などではなかったのではないのか。
 あるいは、思いっきりうがった見方をすれば、子どもを作るためには、誰かが必要だったのではないのかと。
「まさか」と「あるいは」が交互に点滅しながら、私の心の中で反響します。しかし、真夏は生涯、決して答えてはくれないでしょう。
 私は、と言えば、無断欠勤の上、長期の療養をしなくてはならなくなった身です。当然のように、会社から解雇通知を受け取りましたが、皮肉なことに、年収の10数倍の慰謝料を受け取った直後ですので、慌てなくてすみました。
 むしろ、どのみち、MRなどと言う仕事を続ける気も無くなっていましたから、丁度良かったのかもしれません。
 そして、妻です。
 入院中、たった一度だけ顔を出してくれました。
 松葉杖にすっかり慣れたのか、足取りは確かでしたが、私と一度も目を合わせません。他人のようなぎこちなさで、ぎくしゃくと動いて真夏の生けてくれた花を替え、ごめんなさいとだけ囁いて帰ってしまいました。
 その間、わずかに1分もあったでしょうか。
 そして、妻が去った後で気がついた、花瓶の横に置いてある白い封筒には、妻の部分が書きこまれたグリーンの離婚届が置いてありました。
 夫の目の前で、他の男を受け入れ、何度もオーガズムを得てしまった妻が、苦しんだあげくに出した結論だったのでしょう。
 義父と、妻が、どのような話をしたのかは、うかがい知ることはできません。ただ、入院中に、おそらくは謝罪の手紙と思われる封筒を受け取りましたが、今さら、読む気もおきずにそのまま捨ててしまいました。
 義父はとうとう、一度も見舞いに来なかったことだけは事実でした。もちろん、来て欲しいとも思いませんでしたが。
「美穂」
 この世で、ただ一人、今すぐあいたい相手に、メールを何度送っても、返事はまったく返ってきませんでした。真面目な妻が結論を出したのが、あのグリーンの用紙だと言うことでしょう。
 妻なりに、辛く、悩んだはずでした。
 しかし、だからといって、そのままあきらめることができるわけもありません。
 退院の日が決まったと最後のメールを打ちました。もちろん、返事は来ませんでしたが、妻は、今でも、アドレスを変えはしなかったのです。
 私が戻るのは東京のアパートです。あるいは、荷物を送ってもらうことになるかも知れませんが、妻の気持ちを考えると、戻らない方が良いと思ったのです。
 だから、ほそぼそと、しかし、私に残された妻とのつながりのメール。
 退院の日の連絡に、そして、妻と私の未来に、一行だけ、そう、ほんの一行だけ付け足して、最後の賭をしてみたのです。

 波の音だけが、静かに繰り返します。
 いつの間にか季節は秋を通り越していました。
 誰もいない海岸に、日は落ちるのが早く、さっきまでの赤々とした夕陽は既に波の向こうに消えて、闇が濃くなってきました。
「来なかったか」
 しょせん、私の思いこみだけだったのでしょうか。
『退院した翌日、あの場所で、夕陽を見ながら待ってる』
 妻と全てを乗り越えて、もう一度、夫婦を作り直すには、この場所しかないと思ったのです。
 賭でした。
 2人で乗り越えよう。
 場所を書かなくても、その気持ちは通じるはずでした。あの危機を乗り越えさせてくれることになった、思い出の場所、鎌倉。
 そんなことを妻が知るよしもありませんが、あの写真に沿えられた手紙を信じるなら、妻は分かってくれるはず。
私の思いが、妻とまだどこかがつながっているなら。そして、妻が、私への愛を思い出してくれているなら。
 この場所以外はあり得ないはずでした。
 もし、今日、妻がここに来られないなら、それ以上は、余計に苦しめるだけだと思いまいした。そして、メールも見られないほど、苦しんでいるなら、きっと早く忘れたがっているはずです。それ以上追い詰めるのは可哀想だと思ったのです。
「どうやら賭に負けたか…」
 涙は出てきません。
 あの日、写真を撮った材木座海岸の片隅で、膝を抱えながら寄せては返す波の音だけを聞きながら、静かに夜を見つめていました。
 もはや、空と海の境界線もわからぬほどの闇の中で、ふと、真夏の言葉が蘇ります。
「あなたは強いです… か。よせやい。どこが強いんだ。何にもなくなっちまったら、泣くのを我慢してるんじゃなくて、泣くこともできないだけなんだよ」
 無意識につかんだ砂は、手から、サラサラと見事にこぼれ落ちていくだけでした。



千代に八千代に
信定 9/5(水) 17:28:45 No.20070905172845 削除
第十章

 東京市に近づくにつれ、民家も多くなり人も増えてゆくのを見ながら、
誰かに発覚し罵られやしないかと、ずっと身の縮む思いだった。
行き交う人は庄次郎のことを気に留めることはなく、杞憂に過ぎないが心の傷はやはり深い。
だが市に足を踏み入れたとき、あまりの人の多さに息を呑み、そのことを忘れるほどだった。
人がひしめく東京なら、黙っていれば自分が朝鮮人だとは知られることは無い。
初めて見るビルディングを見上げ、全身に力が漲るのを感じていた。

 東京都となるのはずっと先の昭和十八年以降である。
明治が終わり、デモクラシーの幕開けであった。
と言っても庄次郎にとってはどうでもよいことだ。
ただ、暗い思い出しかない明治時代に終止符が打たれ、
新しい年号と、自分の人生の再出発を照らし合わせ、気分は悪くなかった。
社会構造や産業の近代化が進展するとともに、第一次大戦に参戦してからは、軍需産業で大戦景気に日本は沸くが、
大正二年には東北地方で大凶作、翌年には株が大暴落するという、混乱の時代でもあった。

 庄次郎は、一級河川沿いを更に上った。
ここに留まることを考えたのは、故郷と似たような雰囲気だったせいもある。
この時代鉄道網の拡張や道路整備などが盛んに行われていた。
所々で作業をする人達を見て、庄次郎はこれだと思った。
早速工事現場に出向き交渉すると、すぐに来いということになった。
さすが東京だ。
仕事がすぐに見つかった。
もちろん櫻井庄次郎の名でだ。

「お前よく働くなぁ」
もう何回この言葉を聞いただろう。
五分刈りにした顎の張った四角い顔の、庄次郎より頭一つでかい現場監督は前を通るたび肩を叩いてゆく。
本人は軽く叩いているつもりだろうが、これが結構痛い。
長い距離を二人ペアで土を掘り返す作業を進めていた。
組んでいるのは留造という名の小柄で頭の禿げ上がった、庄次郎の父親ほどの年齢の男だ。
「おお、よーく動きやがるな、てめーは」
口からあご周りまで、ひげ剃り後の青々とした部分を撫で回し、監督と同じ言葉を繰り返す。
「トメさん、またそれですか」
苦笑する庄次郎は額の汗を拭う。

 故郷にいた頃も庄次郎は母の影響で、割と標準語と言われる言葉で話をする。
友達にからかわれることもあったが、自慢の母から教わった言葉だ。
やすやすと訛るわけにはいかない。
「くそ田舎から来た割にゃ結構な江戸弁じゃねえか」
巻き舌で話す留造の第一声がそれであった。
初めて聞く東京弁は、まるで異国へ来たような新鮮さがあった。

 金を貯めて母と祖父母のため、立派な墓を作ってやりたい。
庄次郎はどんな辛い仕事も平気だった。
その仕事っぷりに留造は目を丸くする。
「おっそろしい馬力だなぁ」
田舎での仕事や軍隊で鍛えた体だ。
体力には自信がある。

 ここでは庄次郎を朝鮮人だと疑う者は誰一人いない。
平穏な歳月が過ぎていった。

 留造は時々庄次郎の住む長屋に顔を出し、酒や食い物などを持ち込んで居座ることがあった。
あれこれと庄次郎の世話を焼くが、ありがた迷惑の時も無くはない。
人がよいのが取り柄のような男なので、庄次郎もそれはそれで楽しんではいた。
「なぁ、ショウジよう、今日いいとこ連れてってやるぞ」
江戸の人間は名前を縮めて呼ぶ傾向にあることを知った。
タバコのヤニのせいで真っ黒になった歯をむき出し、男やもめの留造はへへっと頭を撫で回す。
「いや、俺金無いですから」
その『いいところ』に今までも何度か留造に誘われるが断り続けていた。
「金は心配すんなよ。ちょっと賭で儲かったからよ。な、ショウジ」

 夜も更けた頃、庄次郎は渋々留造に従った。
もうすぐ三十歳になろうとしているが実はまだ女を知らない。
さすがにその事は留造に言えるはずもななかった。
『いいところ』に行くのは、その事もあって抵抗があるのだ。

 人のにぎわう飲み屋街から、二本裏通りに入った一帯がそこだ。
ズラリと並ぶ淫靡な構えの店の前では、客引きの男や女が声を張り上げていた。
歩いている人達よりもそれは多かった。
中規模な店の前で手を振っている女に留造は声をかけた。
その豊満な体つきの女は、肌をできるだけ多く見せた服装で留造の肩を叩いてケラケラ笑っている。
どうやら顔見知りのようだ。
留造は女の尻を撫で回してニヤニヤしている。

「ケツのちいせえ女頼むぜ」
などと大きな声で言う留造は、今度はこちらを向いてニヤリと黒い歯を見せる。
「締まりがいいからよ、なぁショウジ」
女を待っている三人の客全員と、中年の二人の従業員、更に遊女と思われる若い女がこちらを振り向いた。
耳を赤くした庄次郎は穴があったら入りたかった。





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妻の入院 92
医薬情報担当 9/4(火) 19:10:25 No.20070904191025 削除
「ごめんなさい」
 妻が載せられた台のすぐそばで床にしゃがみ込んでしまった私に、妻はそれだけを言うと泣きじゃくっています。
 私はと言えば、そんな妻に何と声をかけるべきなのかわかりません。その上、さっきまでのダメージは、やはりすごいものでした。胃液が、波状攻撃を仕掛けるように、ヒクンヒクンと、喉をさかのぼり、喉の方まで酸っぱい痛みが上がっては、口の中がわけのわからないものに満たされるのです。
 そのくせ、吐けるものも何もなく、ただ、奥歯の後ろの方からえぐい何者かがだらだらと垂れてきて、床に、ポタポタと落ちていきます。
 落ちた液体は、真っ赤でした。
 痛いのか、苦しいのか、自分でもわからず、ただ、うかつに立ち上がると、それだけで気を失ってしまうことがわかっているだけに、妻の載った台の下で、ひたすら、吐き気と苦しさと痛みの波状攻撃に耐えるしかありません。
「ごめんなさい」  
嗚咽の合間に、妻は謝り続けていました。
 懸命にこらえて、右手で、妻の左手を捕まえます。一瞬、振り払おうと動きますが、次の瞬間、その指は私の指にしっかりと絡みついていました。
 つかのま、妻の柔らかな手がしっかりと私と結びついたと思いきや、私の手を払いのけてしまいました。
「いやあ!いや!なんてことを! ああ、いや! あう、いやぁ」
「美穂、みほ、みほ!」
 私の声も届かない様子で、泣き叫び続けるうちに、妻の呼吸がおかしくなりました。
 はっ、はっ、はっ、はっ。
 まるで空中に放り出された金魚のように、吸おうとする音は聞こえても、息を吐き出せないような様子です。まるで、全身に痙攣が広がって呼吸ができないまま、死にそうな雰囲気でした。
「美穂?美穂?」
 はっ、はっ、はっは。
 声も出せなくなってしまった様子です。
一瞬、妻がこのまま呼吸ができずに死んでしまうのかとうろたえた時、ふと、目の前に影ができました。
「大丈夫。過呼吸と言って、上手くガス交換ができなくて起きるものです。ちょっと苦しいけど、すぐ収まります」
 妻の腕になにやら注射した山村さんは、まさしくプロの看護士の顔をしていました。
「大丈夫。すぐ収まる。少し寝なさい。夢だったのよ、全部、ね、このまま」
 患者を安心させる笑顔を作りながら、妻の顔を覗き込んでいます。
 妻にとっては、どうしてこの人がここにいるのかわからない様子で、また新たな狼狽を見せます。
「大丈夫よ。ちょっと辛すぎたのよね。いいのよ。こんなにすごい旦那さんですもの、安心してお休みなさい。そう、良い子ね。だんだん、息、楽になるでしょ?」
「は、は、はぁ、すう、はぁ、すう」
 妻の呼吸音に、次第に息を吐き出す音が混じり始めます。
「過呼吸はね、精神状態が、追い詰められると出やすいの。女性にはよくあることよ。こんなメにあったんですもの。それは仕方がないわよねえ」
 見上げると、山村看護師は、妻の髪をしきりに撫でているようでした。妻がどんな表情をしているのかうかがい知れません。
「そうよ、上手。そうやって、ゆっくり息を吐いて、吸って、吐いて、そうそう、もう大丈夫。はい、そのまま、目を閉じて。そっと、そう、息をゆっくり鼻から吸って、口から、ゆっくりと出す」
 一、二、三と呼吸を数えるうちに、妻の呼吸は、だんだんと規則的に、深く、ゆっくりになっていきました。
「そうよぉ、もっとゆっくりぃ、じゅうに、吸って、吐く、そう、じゅうさん、じゅうぅし…」
 声がだんだんと小さくなったのは、どうやら、注射の効き目で妻が寝てしまうように誘導していたからでしょう。
 しばらく、静かになった妻の顔を見つめてから、今度は私にかがみ込んできました。
「立てる?できれば、あなたも寝かせてあげたいんだけれど。でも、その前にやるべきことがあるでしょ?」
 もちろんでした。このまま、気を失うわけにはいきません。
「今、呼んだわ」
「誰を?警察?」
「ううん、この子の父親。さ、あなたは、何を要求する?それとも警察も呼ぶ?それなら、私も共犯者として、ちゃんと、全部しゃべるわ」
 山村看護師の眼差しは、どこかすっきりとした光を持った気がします。
「あら、いけない。まず、私が、謝る方が先でしたね。本当に申し訳ありません。謝って済むことではないけれど。私が間違ってた気がします。この子の人生を壊す貯めに、あなた方を巻き込んでしまった。ううん、そもそも、この子を使って復讐だなんて」
 山村看護師の言葉が、どこまで本当なのかは分かりません。しかし、共犯者として全てを話すという言葉にはウソがない気がしました。
「う〜ん」
 警察を呼ぶ。
 確かにそれが一番でした。しかし、真夏のことが引っかかります。山村看護師の証言があれば、いくら警察に手を回していても、この男は犯罪者として、裁きを受けることになるでしょう。
 しかし、それは同時に、被害者として私たちの生活がマスコミに晒される可能性を物語っています。見上げると、力なく伸ばした妻の左手が、見えました。
 その白い手には、か細く、はかなげに見えました。
 真夏のまっすぐな瞳がフラッシュバックします。
 山村看護師のふっきれたような、さばさばした目が浮かびます。
 頭がズキズキしていました。ひょっとして、私はとんでもない決断をしようとしているかもしれません。
 山村看護師の手を借りて、出してもらったイスに腰掛けると、妻の安らかな寝顔が見えました。
 ついさっきまで、この男によって、快感に喘いでいた顔が重なります。
 しかし、今、この瞬間の安らかな寝顔は、私の愛した、そのままの妻で、何一つ変わっていないように見えました。
「山村さん、こいつの父親はどこまで知ってるの?」
「多分、ここでのことはまったく。病院でのことは… 全部」
 不意に、また、喉の奥から酸っぱいものが飛び出してきます。容赦なく床に吐き散らしますが、口を通過するだけで火のようにしみるのは、口の中がボロボロに切れているせいでしょう。
 少し咳き込むと、今度は赤い雫が、床に散らばりました。
「病院でのことは、父親の差し金?」
「いいえ。ただ、息子が手元に戻ってくるためなら、何をしてもいいと思ってたんだと思うわ」
「まさか、元々の事故も?」
「私が知っている限りでは、今回のはわざとじゃないと思う」
「今回のは?」
「そう。本当はいつかこんな事故は起きていたかもしれないわ。だけど、今回の事故は偶然のはず。あの子がとっさに、ぶつけたんじゃない限りね」
「じゃあ、もし、わざとだとしたら、悪くすると妻は殺されていたかも」
「それはないと思うわ」
「だって、こんな大怪我を」
「そうね。確かに、骨が折れるのは大怪我よね」
 そう言うと、妻の足首に、つかつかと歩み寄ります。私を一度見てから、踵を固定した金具を外し始めたのです。
「ちょ、ちょっと」
「大丈夫。外しても。ううん。外すべきよ、だって、ひびが入ったくらいならギプスで十分」
「えぇ!ひびって…」
「脚の怪我は事実よ。傷口を縫ったのも事実だわ。骨にひびが入ったのもね。だけど、それ以外はみんなウソ。息子のわがままに、院長も仕方がなかった」
「だって、レントゲンが」
「あら、あなた、骨を見ただけで誰の骨かわかるの?ちょうど良い写真なら、いくらでもあるわ。そこにぺたりと美穂ちゃんの名前を貼れば、ね」
「警察だって、酷い事故だって」
「そりゃ、警察にとっては、人が怪我をすれば、全部ひどい怪我よ。その上、まあ、怪我の程度を軽く言う加害者はいても、重く言う加害者なんていやしないものね」
「いったい、何のために」
「わかってるでしょ。そんなこと。足を吊る必要なんて無かった。でも、吊っていると、良いことがある」
「え?それじゃ…」
「そうよ。こんなもの、初めから不要だったの。ううん、必要だったのかな。あの子にとっては。だって、美穂ちゃんをいくらでも自由にできる口実になるんですもの」
 私は唖然として声も出ませんでした。
 妻の入院。身動きできない身体。 
 それは、この男による、この男のための、この男だけが必要としたことだったのです。



妻の入院 91
医薬情報担当 9/3(月) 18:58:29 No.20070903185829 削除
「あなた」
 それが果たして、本当に妻の声だったのか、あるいは、気を失う直前の幻聴だったのかはわかりません。
 しかし、そのたった一言が、思い出させてくれました。
 私がここで倒れるわけにはいかない。この戦いは、この男と私の戦いではない。私が妻を取り戻せるのかどうか、自分の中の戦いなんだと。
 危うく崩れ落ちかけた膝を、右脚を半歩前に出して持ちこたえ、男の目をにらみ据えます。
『え?』
 驚きました。
 圧倒的に有利なはずの男の目の中に狼狽があったのです。
「いいかげん、がんばりすぎんなよ。おっさん。へへ、まあ、俺も、たっぷりと美穂の中に出したからな。美穂に腰を使いすぎて、パンチに腰が入らねえんだけどよ」
 挑発的な言葉を、下卑た口調で吐きますが、それすら、まるでケンカに負けそうになった子どもが泣きながら暴れているような、そんな印象を受けてしまいます。
 現実には、もはやボロボロの私が目の前にいるだけなのに、男は、まるで化け物を見る目つきで私を見ていました。
 その時わかったのです。真夏の言った意味が。
『誠さんは弱い』
 そう言っていた意味が。
 男からすれば、よろよろの私はとっくに床に沈んでいるはずなのです。それなのに、思い通りには沈まずに、いまだに、こうやって目の前に立っている。
 あまつさえ、こうやって、にらみつけた私の目には、再び、闘う決意が浮かんでいるはずです。
 肉体だけを見ると、おかしなた話ではありますが、心だけを見るなら、目の前の男は追い詰められていたのです。それも、自分の心に。
 圧倒的に有利なはずの自分が、相手を思うとおりに沈められない。たったそれだけのことが、自分へのプレッシャーとなって怯えてしまう。それが、この男の本性なのです。
『美穂は、こんな男を決して選ばなかっただろう』
 そう。若き日の妻も、きっと、この男の本性に気づいたのです。だから、この男を「選ばなかった」し、私を「選んだ」のです。
 ひょっとして、妻が選んだのは、私以外の誰かでも良かったかもしれないけれど、すくなくとも、この男は選ばない。
「妻が選んだのは、この私だ。おまえじゃない」
こみ上げてくるものが思わず言葉になっていました。男の目には怒りと、おびえの光が帯びてきます。
「おまえが、何百回腰を振ろうと、何リットル汚いものを出そうと、たった一人の気持ちも変えられやしない。美穂が愛しているのは俺だ。おまえじゃない」
「うるせぇ、てめぇを片付けてから、ゆっくりとやらぁ」
 窮鼠猫を噛むという言葉が一番ピッタリ来るような、そんな顔をしながら、男は、全力の、そして最後の一撃をと動く瞬間が見えました。
 とっさに、機先を制して竹刀を小さく横に薙ぐと、男は後ろにヒョイと下がってかわしました。
 2人の間に、1メートルにも満たない距離ですが、「間」が生まれました。
 竹刀をかわした男は、最後のとどめとばかりに、一気に間を詰めてきます。
 その瞬間でした。
 竹刀は当たらない。
 ボクシングになくて、剣道にあるもの。
 その二つを満たす答えは、これでした。
「ちぇすとー!」
 吼えました。
 渾身の気合いを込めて、正眼の位置から竹刀の先を上げたまま、腰を沈めます。そのまま、近づいてくる男に思い切った体当たりをしたのです。
 ボクシングには体当たりなどと言う野蛮なモノはありません。「パンチをあてるためには、寸前で身体を止めなければならない」そんな常識が、男の動きをホンの一瞬だけ止めたのです。
 真っ正面から身体がぶつかれば、男の拳は、私の腹にめり込む前に、目標までの軌道を失います。腕が伸びきる前の拳など、今の私には、痛みの内に入りません。
腰を下げているため、身体の前に置いた柄の部分が、相手の身体を下からすくい上げる形になります。飛び込んできた相手のエネルギーと、私のエネルギーがまともにぶつかった時、驚愕の表情のまま、男の身体は宙に浮かびあがったのです。
 人間には羽根はありません。
 浮かび上がった人間というのは、物理の法則に従うしかないのです。
 空中では、得意のフットワークを使いようもありません。だから、すくい上げるエネルギーを利用して、大きく振りかぶった必殺のメンをよける術は、男にはなかったのです。
 たとえ、手の自由が利かなくても、渾身の気合いと力を振り絞ったメンです。
 いえ、それも私だけのものではありません。
 妻がいます。私のために男達に弄ばれながらも献身した真夏の祈りが込められます。
 それだけではありません。この一振りのメンには、真夏の姉が乗り移り、山村看護師の半生が乗り移っているはずでした。
 その一撃は、男の額を上から押さえつけ、床にたたきつける威力がありました。
 ミシッ。
 頭にめり込んだ竹刀が、折れる音がしました。
 男の身体が、床に崩れ落ち、ボロ雑巾のようにクタリと広がったのです。
 そう。このメンには、私の全てが込められていた…
 床にたたきつけられた男が、立ち上がれるはずもないことを、私は確信しました。
「あなた」
 今度ははっきりと聞こえた妻の声です。 
 振り返ると、妻が泣きながら、私を見つめていました。
 けれども、私が妻と目を合わすと、慌てたように、顔を背けたのです。
 恐らく、ついさっきまで、一方的にやられ続けた私を心配するのに精一杯だったのが、いざ、私と目を合わせると、今度は、私に合わせる顔がない、となったのでしょう。
 右手が上手く動きません。
 歯で、左手のガムテープを剥がしながら、ゆっくりと妻に近寄ります。
「美穂」
 黙って、向こうをむいたまま、妻は首を横に振るだけでした。
 悪戦苦闘して、ガムテープを剥がした手から、竹刀がポトリと抜け落ちました。まるで、これで友としての俺の役目は終わったと言いたげに、私の手から離れたのです。
『グッバイ。友よ。ここからは、俺は必要ないだろ?がんばれ…』 
 カランと乾いた音は、そう言っている気がしました。竹刀が音を立てて転がった先は、妻の乗せられている台の足下だったのです。
 竹刀の転がる音に、首をねじ曲げたままの肩をヒクリと振るわせて、妻は無言でした。

 



卒業後 11
BJ 9/3(月) 18:12:37 No.20070903181237 削除

「ふうん、つまり赤嶺さんの友達のその彼が、自分の奥さんを赤嶺さんに抱かせようとそのスワッピングを計画したんですか?」

 昼下がり、行きつけの食堂でいつもの定食をぱくつきながら、岡村は目を丸くした。
「そうよ」
「いったい何のために?」
「世の中には『自分の女が他の男に抱かれている!』『ああ、興奮する!』って男もいるのよ」
「全然分からないすね」
「私も分からないわよ。たとえ目の前で岡村君が他の女の子を抱いていても、私、何とも思わないもの。まあ、岡村君は別に私の彼でもなんでもないから例えがわるいけどさ」
 素っ気無い明子の言葉に、岡村は唇を尖らせた。
「なら、いちいち僕の名前出さないでください。まったく。それにしても、奥さんのほうは旦那さんのそんな性癖知ってたんですか?」
「いいえ、知らなかったわ。旅行中に赤嶺に抱かされようとしているなんて、まったく知らされないで、ただ旦那さんと二人きりの旅行のつもりで来ていたのよ」
「うわー残酷」
「今、思うとね。私も悪いことしちゃったわ」


 明子が初めて彼女を見たのは、二年前の夏、飛騨の小京都高山の街でのことであった。
 赤嶺の言葉から、いるだけで人目を惹きつけずにおかない大美人を想像していたのだが、実際に目の当たりにした彼女はずいぶん地味な感じで、都会の人波の中ならばたちまち埋もれてしまいそうな儚げな女性だった。
「瑞希と申します」
 控えめな声で彼女は明子と赤嶺に挨拶し、丁寧に頭を下げた。
 顔を上げた瑞希を、明子は改めてしげしげと眺めた。身体は小柄の細身で、顔もしごく小さい。決して派手な顔立ちではないが、整った容貌をしていて、特に切れ長の目の、瞳の澄んだ感じが印象的だった。
 明子が普段S企画や街で見かける今時の女性は、くっきりとパーツを強調する西洋風のメイクをしているし、服も自らの身体のラインを引き立たせることを意識している。瑞希はほとんど化粧気がないし、装いも地味だが、小筆で繊細に描かれた薄墨の水墨画のような清澄さがあった。
 綺麗な人だ。明子は思った。
 明子のやや不躾な視線を意識したのか、瑞希はふと視線を曇らせ、顔をうつむけた。
 瑞希の夫と赤嶺は、いま偶然出会ったという装った会話を続けていた。眼前でうつむく瑞希は、夫と赤嶺が仕組んだ姦計のことなど知らない。知らないで、突然現われた明子と赤嶺に戸惑っていた。時折、ちらちらと夫にすがるような視線を向けていた。
 現在の明子ならそんな当惑した様子の瑞希に哀れを催すかもしれないが、その当時、明子の心は少し荒んでいた。望んで飛び込んだ水商売の世界だったが、表の社会から滑り落ちてしまったような不安も抱えていた。その不安は時に、日のあたる場所で着実な道を歩む人たちへの敵意をもたらした。

 ―――可哀想にね。あなたはもうすぐ信じた旦那さんに裏切られるのよ。

 皮肉な気持ちで明子は瑞希を眺めた。その気持ちには、赤嶺の執着する女への嫉妬があったのかもしれない。
 二年前は今ほど客観的に赤嶺という男のことを考えられなかったから―――


「それで結局、宿へ行ってから、赤嶺さんはその奥さんを抱いたんですか?」
「まあいろいろあったんだけど、結局ね」
「で、どうだったんですか?」
「何が?」
 気がつくと、岡村の唇が「ウヒヒ」の形に歪んでいる。
「決まってるじゃないですか、抱かれたときの奥さんの反応ですよ」
 ぱこんと音を立てて、明子の拳が縦に岡村の眉間に入った。
「いてえ。何するんですか。男なら絶対聞きたいところですよ、そこ」
「そのやらしい顔がむかついたのよ」
 ふんと鼻を鳴らして、明子は煙草を咥えた。

 男なら―――か。
 明子はほろ苦い気持ちで、岡村の言葉を反芻した。
 奥飛騨での三日目の夜を思い出す。あの夜、明子は女というものの哀しさを見た。
 畳の匂いのかぐわしい和室で、瑞希は赤嶺に抱かれた。
 抱かれて―――乱れた。
 夫の前で。
 涙さえ零しながら、瑞希は乱れた。その姿は女である明子をも虜にするほど妖しくて凄絶だった。

 瑞希には最高の素質がある、と赤嶺は言っていた。赤嶺には分かっていたのだ。夫も、おそらく瑞希本人すら知らなかった、彼女の躯の秘密を。
 瑞希は清楚な外見にそぐわない、とても官能に弱い躯を持っている。一度火が点くと、芯が尽きるまで燃え盛らずにいられないような。
 それが一人の女性にとって幸福なことなのか、そうでないのかは明子には分からない。
 夫である彼は、あの夜の彼女を見て何を感じたのか。
 そして彼女は―――  

 最近になって、時折、明子は二年前の二人を思い出す。彼らはどうしているのか。今でも仲の良い夫婦を続けているのか。
 変わってはいないだろうか。
 明子自身、一役かってしまったことだから、余計気になる。

 ―――今度、赤嶺に会ったら、あの二人の近況を聞いてみよう。

 そう、決めた。

「あ、そうそう。さっき出掛けに聞いたんですけど、赤嶺さん、今休暇中で大阪にはいないらしいですよ」
 岡村が思い出したように言った。
「そうなの? 知らなかったわ。まあ、あの男、夏には必ずどこかへ行くものね。去年は天橋立だっけ。その前は」

 その前は―――奥飛騨か。

「今年は長野の松本らしいです」
「相変わらず渋好みね。どうせ女連れでしょ」
「あれ、妬いてるの、明子さん」
「妬いてないわよ。ただその女が気の毒なだけ。赤嶺の精力は凄いのよ。帰ってくる頃にはへろへろにされてるわ。赤嶺はぴんぴんしてるけど」
「男の中の男じゃないですか」
「馬鹿ばっかり言ってないで。会社に戻りましょ」

 岡村を促して、明子は店を出た。
 夏の日差しが突き刺さるように、アスファルトの街に降り注いでいた。



千代に八千代に
信定 9/3(月) 13:35:56 No.20070903133556 削除
第九章

「悪かったな。迎えに行けねーでよ」
「せわねえよ、そっちも忙しいんだろう」
エンドウ豆の種を蒔くため、よっちゃんは畑を耕していた。
一旦作業を止めて庄次郎を見たが、すぐにクワを振り上げた。
「まあな、相変わらずだ。んで、そっちはどうだった?」
「言うほど大変じゃあねえ。俺は結構性に合ってたけど」
「ガキ大将のおめーにゃあ、軍隊もてぇしたことねーってことだんべぇ」
フッと笑うが、子供の頃から良く知っている表情豊かなよっちゃんの笑い方ではない。
やはり屈託があるようだ。
作業を止めたよっちゃんは庄次郎の背後を見つめた。
その顔が赤く染まる。

 真っ赤な夕日の方角から、こちらに向かって三人が歩いてくる。
リヤカーを引いている、体の大きな男は柴崎歌津子の父親だ。
母親と歌津子は少し後ろから、やや疲れた表情で歩いている。
山に入っていたらしい。
リヤカーの上には山菜やキノコが入ったカゴが乗っている。

「こんちは」
よっちゃんの声に父親と母親は挨拶を返したが、庄次郎を見て眉をひそめた。
父親の方はあからさまに不快感を露わにした。
ここでも庄次郎は冷や水を浴びた。
「庄ちゃんお帰り・・・・・・」
久しぶりに聞く歌津子の可愛らしい声に、いくらか救われた思いだった。
一旦は立ち止まったが「歌津子、行ぐぞ」と父親のやや怒気を含んだ太い声にビクッと身を震わせた。
二人は大股でズンズンと歩いてゆく父親のあとを、唇を噛みしめながら小走りで追う歌津子をしばらく見ていた。
視線を足下に落とす庄次郎をよっちゃんは横目で見た。

「歌津子のやつ、いい女になったぺぇ。ケツなんかぐーと大ぎくなりやがって」
けへへと笑い、よっちゃんは庄次郎を元気づけるため明るい声で言う。
「まんだ、お前に惚れてるべぇ、あいつ。お前が手付げねーと俺が一発やっちまうぞ」
わざと下卑たことを言い親友の肩をポンと叩いた。
「まだ処女だべのぅ」
そう言ってよっちゃんは、去ってゆく歌津子をずっと目で追っている。
よっちゃんが歌津子に惚れているのは知っていた。

「皆知ってるんか?」
そう言った庄次郎の表情は硬い。
「ああ、知ってる。だけんど、俺は信じねぇ」
よっちゃんの笑った顔が引きつった。
庄次郎はよっちゃんの手からクワをひったくり、土をひっくり返す作業を始める。
「おい、庄次郎」
「全部本当のことだ。俺は櫻井じゃねえ」
目に涙を浮かべる姿を見たのは、庄次郎の母親を失って以来だった。
「そ、そんな・・・・・・」
よっちゃんは膝を抱えて座り込み、そして頭を抱え込んだ。

 韓国併合の際に朝鮮人は日本国民となった。
日韓併合条約により、その全領土が日本国に帰属することとなり、
朝鮮人に併合当時の住所地のいかんを問わず日本国籍が付与された。
創氏改名は歴史教科書にも記述がありよく知られているが、実施されるのはこれから三十年ほどあとになる。
それまで日本当局は姓名を日本人風にすることを禁止していた。
要するに「内地人」とすることを許可しなかったのだ。
理由は、日本人と朝鮮人の識別を容易にするためであった。
顔や姿、皮膚の色での判別は困難な上、名前まで同じだと区別ができなくなってしまう恐れがあるからだ。
合併以来、朝鮮人への世間の風当たりは強く、関心の無かった庄次郎もそのことは知っている。

 庄次郎はの母は朝鮮人だった。
その事実を知った庄次郎は愕然とした。
故郷に戻ると掌を返したように村民の態度が豹変していた。
上官から手渡された戸籍の写しには、母の名は『徐美里』と記してあった。
そして、『長男庄次郎』とあった。
朝鮮読みで何と読むのかも分からない。
美里とあるので日本読みでミリと呼んだのだろう。
母の両親は、母の生まれた美しい里に因み、美里と名付けたのかもしれない。

 もう一枚の写しは母が死んだあと、祖父母が庄次郎を養子として自分の籍に入れたものだった。
全てこれを基準として動いていたため、これにより徴兵に当選したわけである。
今まで庄次郎は戸籍など考えたことも見たこともなかった。
祖母が村長に内密に頼み込んで、庄次郎を自分の籍に入れたらしい、と調査した結果の報告を少尉から聞いた。
その調査とやらの過程で村民に知られたのだろう。
ということは、母が朝鮮人であることを祖父母は知っていた可能性がある。

 その村長もすでに他界していて、今となっては当時のやりとりについては想像するしかないが、
その際、祖父母は故意に母の籍から庄次郎を抜かなかった、と思われる。
庄次郎の将来のために、村長以外の人に知られたくなかったからに違いない。
だがこちらの戸籍は既に無効となっていた。
祖父母の遺志は無惨にも打ち砕かれたのである。
庄次郎はこれから生涯、朝鮮人として生きてゆくことになる。

 庄次郎の話し相手はよっちゃんだけだった。
子供の頃、よく遊んだ仲間も庄次郎を避けているのは明らかだった。
よっちゃんも本当は接したくないのかもしれない。
自分から連絡をとることは控えるようになった。
庄次郎はたった一人でひっそりと暮らしていた。

 やがて日本はドイツに宣戦布告し、のちに第一次世界大戦と言われる戦争に参加した。
前の庄次郎なら命令があれば参戦しただろうが、今はそんな気はさらさら無かった。
戦争が始まった原因など、庄次郎にとってはどうでも良い。

”朝鮮の言葉も、朝鮮という国すら知らない、日本語しか話せない俺がなぜ朝鮮人なんだ。
今まで考えもしなかったが、父親も朝鮮人の可能性が高い。
とすると、俺は完全な朝鮮人じゃないか!”
夜中に布団から跳ね起き、部屋の物を片っ端から壊した。
はいつくばり疲れ果て溢れる涙を拭い、ふと顔を上げると母の位牌が土間の隅に転がっていた。
声にならぬ声をあげ、這いずりながら位牌に手を伸ばす。
「かあちゃん・・・・・・」
位牌を両手で握りしめ母を呼び、額に押し当て庄次郎は哭した。

 優しい笑顔と、事切れる寸前の無惨に腫れ上がった母の顔を思い出し、少しでも母を恨んだ自分を責めた。
他の友達には父親がいるのに、自分の父親のことを考えたことすら無かったのは、
母に有り余るほどの愛情をかけられた証拠ではないか。
どこぞにぶつけたせいで角が傷ついた位牌を、震える指でそっと撫る。

 庄次郎は日が明けないうちに荷物をまとめた。
引き戸を開けると外は一寸先も見えない暗闇だった。
まるで自分の心の中を映しているようだ。
ここへは戻ってくることはないだろう。
庄次郎は顔を上げ、闇夜に向かって歩き出した。
戦争の始まった年、庄次郎は故郷を捨てた。



卒業後 10
BJ 9/3(月) 04:07:36 No.20070903040736 削除

 若い男が二人がかりで女を犯している。

 仰向けに割り広げられた女の両脚の付け根に、きたならしい男の腰が何度も何度も激しく打ち付けられ、その度に女は仔犬のような声できゃんきゃんと鳴く。
 歪み、汗ばんだ女の顔に、もう一人の男が隆々といきりたつ怒張を突きつけた。細められた女の瞳が動いて、その怒張を見つめる。次の瞬間、不自由な体勢の女は苦しそうに首を動かして、ぱくりと男の一物を咥えた。


 画面越しの光景を眺めながら、遠野明子はふとやるせない気持ちを覚える自分を感じた。他の女の子が出演したアダルトビデオを見ていると、明子は時折そんな気持ちになる。眼前に差し出された男のペニスを見ただけで、条件反射のようにそのモノを咥える女の子たち。まるで訓練された犬のようだ。もちろん画面の中の世界は、すべて虚構のものである。女は犯されてなどいないし、口汚く女を罵っている男たちも、撮影が終われば何事もなかったように女と談笑するのかもしれない。
 けれど、今、半ば朦朧とした顔で男のペニスを反射的に咥えた女の表情には、背筋が凍るようなリアルさがあって、明子の気持ちを暗くさせたのだ。どうしてかは分からない。
 ―――自分も犬の一匹だからか。
 胸のうちで自嘲しながら、明子は煙草に火を点けた。明子はAV製作を主業務とするこのS企画の専属『女優』なのである。
「あれ? 明子さん、禁煙してたんじゃないんすか?」
 画面を見ながら製品のチェックをしていた岡村が振り返った。岡村はS企画のスタッフの中では一番若い。若いのだが、ぼさぼさに伸ばした髪はろくに洗っていないのか脂気が濃いし、目の下にはいつも不健康そうな隈がある。だから、年齢よりもよほど老けて見える。
「昨日まではね」
「禁煙を始めたって話を明子さんから聞いたのは一昨日ですよ」
 もー冗談きついんだから、とけらけら笑いながら、岡村は来月発売されるビデオの検品に余念がない。
「私が出演したやつも岡村君にそうやってじろじろ眺めまわされて念入りにチェックされるているのかと思うと、なんだか撮影にやる気が出てくるわね」
「そう言ってもらえると嬉しいなあ」
 皮肉の通じない男である。だが、この業界はとかく油断も隙もない連中が多い。だから、どこか抜けたような岡村は、明子にとって数少ない気のおけない男だった。
「早く検品終わらせてよ。ランチタイムが過ぎちゃうじゃない」
「もう少し」
「昼御飯は岡村君のおごりだからね。―――ところで赤嶺を見なかった?」
「いえ、今日は見てませんけど」
 岡村は画面を見つめる目をちらりと明子に向けながら答えた。
 このS企画の社員で赤嶺のことを呼び捨てに出来る人間はかぎりなく少ない。女では明子ひとりだろう。それでも明子が赤嶺の名を呼び捨てにすると、皆びくっとした顔をする。
 自虐と反逆が1:1の割合でブレンドされているような性格の明子には、そんな瞬間に妙な快感を覚える。


 テレビ画面の中では、女を犯していた男が立ち上がって、フェラチオを強制していた男と位置を変えていた。男の手が自らのペニスをしごく。次の瞬間、男の性器から白濁が飛び出し、女の顔をべっとりと汚した。判で押したような、お決まりの顔射フィニッシュ。それが終わるか終わらないかのうちに、もう一人の男がまた女を犯しはじめている。


「明子さんが赤嶺さんと付き合っていたって噂、やっぱり本当なんですか?」
 不意に、ぼそぼそとした声で岡村が呟いた。
「何よ、急に。付き合っていたわけじゃないわ。時々、遊んでいただけ」
 少なくとも、赤嶺のほうはそうだったろう。
 赤嶺と初めて会ったのは、明子がまだ普通の会社でOLをしていた頃だった。それが今ではこのS企画で『女優』をしている。
 赤嶺はS企画では特別な立ち位置にいる。彼は一応、プロデューサーという肩書きだが、実際は何でも屋に近い。『女優』のスカウトから、撮影の仕切り、この業界には付き物の社会的に『ブラック』とされる側の人間たちとの話し合いまで。

 明子は赤嶺によってスカウトされた女の一人だった。

「今でも時々遊ぶわよ。今度は岡村君も呼んであげようか。三人で3Pでもする?」
「ホントに冗談きついすねえ。願ってもない話ですけど、俺、その場で勃たせる自信ないなぁ」
「言うわねえ。私みたいなおばさんじゃ、もう勃たないってわけ?」
「違いますよ! 赤嶺さんが一緒にいたら、怖くてヤル気が失せるって話です」
「なんで?」
「だって赤嶺さんって、普段は冗談ばっかり言ってるけど、よくよく見ると目がちっとも笑ってないようなところあるじゃないですか。あの目で見られたら怖くて萎えちゃいます。赤嶺さんはもてるらしいけど、抱かれる女の子たちはよく震え上がらないもんだと思いますよ」
「ああいう危ない感じが好きっていう女もこの世には多いのよ。実際、赤嶺ってサドだしね」
「やっぱり。・・・待てよ。ってことは、明子さんも赤嶺さんに縛られたり、鞭で打たれたり、ローソク垂らされたりしてるわけですか」
 急に目を輝かせた岡村の頭を、明子はグーで叩いた。「痛てて」と唇を尖らせながら、岡村はやはりどこか嬉しそうな顔である。
 その顔が急に真顔になった。
「でも・・・・俺、ほんと赤嶺さんだけは目の前で話してるだけで緊張しちゃいますよ。何ていうのかなー、あの人のオーラみたいなものが普通じゃないから。一般人ならブレーキをかけずにいられないところを、平気でアクセルかけそうな雰囲気があるじゃないですか。あのひと見ててそういうのを感じると、俺なんか蛙ですよ」
「蛇に睨まれた蛙って言いたいのね」
「それです。蛙状態。あのひと、私生活はどうしてるんでしょ。カタギの友達とかいるのかなぁ」
「―――いるわよ。私会ったことあるもの」

 といっても、それはもう二年前の話になる。けれど、昨日のことのように思い出されるのは、その出会いが明子にとっても強烈な体験だったからだろう。


 最初、赤嶺に『友達』を紹介されたときもは驚いた。あの男に世間並みの交友があったことに。
 『友達』の彼は、赤嶺とはまた違った意味でどこか翳のある男だった。赤嶺の翳は先程岡村が表現した「オーラ」のような凄みに転化しているが、彼のほうは全然そのようなところはなく、一見したところはどこにでもいる普通の男で、どうして赤嶺のような男と長く交流が続いているのか、明子は最初不思議に思った。後に彼の別の一面に接して、明子はその理由の一端を垣間見た気がしたのだが。
 もっと驚いたのは、赤嶺がその『友達』の奥さんに強烈な関心を示していたことだ。女に関わる仕事をしていて、本人も数え切れない浮名を流しているものの、明子の見るところ、赤嶺は女に夢中になれるような男ではなかった。
 赤嶺と『友達』と明子の三人で飲んだとき、赤嶺は何度かその奥さんの話を出し、その度に『友達』の彼が落ち着きない様子で赤嶺を見つめていたことが印象に残っている。


 ―――そんなにいい女なの? その奥さん。


 バーで飲んだ帰り道、明子は赤嶺に聞いてみた。


 ―――俺好みだね。普通の主婦にしとくのはもったいないな。


 最高の素質があるのに、と赤嶺は呟いた。


 ―――素質って?
 ―――女の中にはいろいろいる。明子だって少し前まで普通のOLをしていただろ。普通の人生を送って普通の生活をしていても、ふとしたきっかけで妖艶に開花する女もいれば、水商売に浸っていても実際はマグロみたいなのもいる。俺は素質ある女を開花させて、次第に変わっていく姿を記録するのが好きなのさ。


 独り言のように言ってから、赤嶺はくすりと笑った。


 ―――明子の開花も俺がちゃんと映像に残してやったじゃないか。
 ―――厭な人。あなたがそんなに自分の仕事に情熱を持っていたなんて、初めて知ったわよ。
 ―――趣味が高じて仕事になったってとこかな。


 最後で冗談めかしてうやむやにするのは、赤嶺の癖だ。
 そのときはそこで話題が終わり、明子もすぐに忘れてしまったのだが―――


 しばらく後に赤嶺から連絡が来た。そして明子は、例の『友達』夫妻とのスワッピングへの参加を持ちかけられたのである。



妻の入院
医薬情報担当 9/2(日) 11:38:38 No.20070902113838 削除
「剣道三倍段」という言葉があります。
「空手、あるいは柔道が異種格闘技戦を挑むなら、剣道の段位の3倍を持っていないと相手にならない」
 そんな意味です。それは、剣道の優位と言うより、長い棒を持って入れば、それだけ有利に決まっているからです。
 しかし、今の私のように、自由に竹刀がコントロールできなければ、竹刀は単なる棒以下でしかなく、邪魔モノでしかありません。
 もちろん、不思議なもので、竹刀を持つと、相手の動きを冷静に見ることはできます。
 しかし、悲しいほど動かない手足が、当たるとわかっているパンチを防げないのです。立ち上がった私を待っていたのは、ニヤニヤと嘲笑う顔と、腹ばかりを狙うパンチの嵐でした。
 腹、腹、とめり込むパンチを受け、たまらず、持っている竹刀を下げると、顔面を狙われます。フェイントとわかっていても、顔を守ると、すかさず、また腹。徹底して、腹を狙ってきます。
 ボクシングには素人でも「顔は天国、腹は地獄」と言う言葉を聞いたことがあります。KOされる時、顔面にパンチを食らうと、瞬時に意識が跳んで、倒れていくときはふわふわと意識が無くなるそうです。それは、一種快感だと何かの本に書いてありました。
 反対に、ボディは、一発で沈むにしろ、何発も受けるにしろ、いえ、倒れることを耐えれば耐えるほど、その苦しみはものすごくなるそうです。今の私は、それを身をもって知りつつありました。
 おそらく、この男も、それを知っているから、そして、私が手も足も出ない状態だということを知っているからこそ、ネコがネズミを嬲るように腹ばかりを狙うのでしょう。
 しかし、私は倒されるわけにはいかないのです。腑がねじ切れようとも、胃袋が破れようと、戦いに負ければ、妻を取り返すことなどできやしないのです。
 ひょっとすると、戦いに勝つことなどできないかもしれません。いえ、このままでは、ひょっとしなくても、手も足も出ないというのが本当です。しかし、たとえ、勝てないまでも、せめて一太刀なりとも浴びせねば、真夏がいくら後で助けを呼んでくれようとも「私の戦い」は終われないのです。
しかし、現実には、次々と腹にめり込むパンチが、私の体力と、そして気力を、確実に削いでいきます。
 死ぬ気をふるって、竹刀を薙いでも、突いても、フットワークも軽くかわされてしまえば、自分の無力さが重く突きつけられることになるのです。
 竹刀をまともに握れぬ「剣士」は、しょせんボクサーにかなうことなどできはしないのか。剣を握れぬ剣士にできて、ボクサーにできないことなど無いのか?
 もう、何発のパンチを食らったのか、わからなくなりながら、それでも、私は、立ち続けました。
 もはや、私を完全にナメ切っています。一発、あるいは、ワン・ツーと浴びせては、軽いフットワークで間合いを取ってニヤリとする。そんな繰り返しになっています。
『もうダメか…』
 腹の中が、ぐちゃぐちゃになった気がします。
 胃が、ねじ切れているのかと思うほど痛み、吐くに吐けない吐き気が津波のように押し寄せる中、半ば意識がなくなりそうでした。
 もし、ここで一度膝を突けば、二度と立ち上がることなどできそうもありませんでした。しかし、気力で支え続けた膝が、とうとう崩れ落ちそうになります。
『ここまでか。すまない』
 誰に謝っているのか、自分でもわかりません。
 しかし、自分の中で、決定的に敗れてしまった心が、知らずに謝っていました。
 両膝の力が抜けていこうとした、まさにその瞬間、微かに、聞こえたのです。



妻の入院 89
医薬情報担当 9/1(土) 20:23:22 No.20070901202322 削除
 そうは言っても、何とも頼りないことに、握力が戻りません。
 本来、竹刀は左手の薬指と親指、そして、小指の3本だけで支えるべきなのに、両手で持つのがやっとなのです。
倉庫になっている小屋は、上手い具合にガレージの横、母屋の裏側に建っていました。ガレージに停めてあった、見覚えのある、あの品のない車には、特殊警棒だけではなく私の竹刀までもが、なぜか、そのまま積んでありました。
 悩んだ末に、やはり、竹刀を取ったものの、まともに持つこともできないのです。
 しかたがないのでコンソールボックスにあったガムテープで、左手に竹刀を持ったまま、真夏にぐるぐる巻きにしてもらいます。
「はは、さすがに慣れてるね。きれいな巻き方だ。最後にお大事にって言ってくれたりして」
 緊張するとくだらないジョークを出すのが私の悪い癖です。
 心配顔の真夏から目をそらしながら、それじゃ、とだけ言うと、裏口に向かいました。
 砂利を踏みしめる音さえも、ドラムを打ち鳴らす音のように大きく聞こえます。
恐る恐る手をかけた、勝手口の小さな扉には鍵がかかっていませんでした。小さなきしみにもビクビクしながら、そっと開けた瞬間、頭にカッと血が上りました。
 妻の啼くような、あのせっぱ詰まった声が聞こえてきたのです。
『朝から、やってやがるのか』
 猛る気持ちを懸命に抑えながら小さなキッチンを抜け、静かに、あの吹き抜けの部屋へ向かいます。
 ドキリとします。
 目の前に、妻のヌードが唐突に出現したのです。
 出現したというのは正しくはありません。キッチンからの角を曲がった瞬間、そこに、妻の白いからだが突然見えたということです。
 その白い身体から、左手だけが持ち上げられ男の身体に伸びています。与えられる快感に、自然に腕が伸びてしまうのがオンナというものかもしれません。
 言い換えれば、その時、妻は、逝く寸前だったのです。
「あぁ!あう!だめぇ、あう!いやあ、あう、あ、あう、ヘンになっちゃう、だめぇ、あうう」
「ほら、美穂、逝っても良いんだよ。また、逝くのか?ふふ、すっかり逝きやすくなって。昨日から、何度目だよ」
「あ、あ、やめ、あう、言わないでぇ、あう、だめ、い、逝っちゃうから、あう、やめてぇ、あぁ、もう、逝きたくないのにぃ、あう、ああ、だめ、やめてぇ」
「ほら、どうだ、これで」
 男の腰が一気にスパートします。
「だめ!逝っちゃう!ああ、やめてぇ!」
「いいぞ、また、逝け!美穂!ほら!どうだ!」
{あうぅ、い、いく、いっちゃうから、あう、だめぇ!いくぅ〜」
 妻の背中がブリッジを作り、左手が、男を抱き寄せようとするかのように、うごめきました。
 その手のうごめきを見ていた私は、やっと我に返りました。
 そうです。このままに、しないためにこそ、私はここに来たのです。
「へへ、美穂ちゃん、またまた逝ったね。いいぞ。俺のを飲み込みたそうにヒクヒク動いてた。次は、一緒に逝くからね。美穂ちゃんの中をまた、あふれさせてあげる」
「いやよ、もう、いやぁ」
「嫌って言いながら、こっちは、また締め付けてくるよ、それとも、さっきみたいに、途中で抜いて、焦らしてあげようか」
「もう、やめて、いじめないで」
「いじめてなんかいないさ。美穂ちゃん、可愛かったもの。どう、自分でおねだりしちゃった気分は?」
 これ以上の睦言は聞いていられませんでした。
 仕切りになっている、長い暖簾のような隙間を竹刀でゆっくりとかき分けて、すり足で部屋に入ります。しかし、2人は気がつきません。
 つながったままの格好で、ゆっくりと妻にキスしようと身をかがめた背中に、冷ややかな声を浴びせました。
「お楽しみの所、すまないがね。そろそろ、時間ですよ、お客さん」
 男がサッと振り向き、驚愕の表情のまま固まります。
「いやあ、あなた、見ないで!いやあ!あなた、来ないでぇ!」
 妻の叫び声は悲痛な痛みを伴っていました。しかし、とにもかくにも、この最後の交わりで男が出す前に間に合ったのが、せめてものことだったと、自分を慰めるしかありません。
 今さら、一度くらい、中に出した回数が増えたとしても、何も変わらないかもしれませんが、他の男の精を溜めたままの身体を夫に助けられるのは、妻の気持ちが違うと思ったのです。
「どうやら、最後のお楽しみは、途中でオアズケだったかな」
 男の驚愕の表情を楽しみながら、不意を突いた出現に、十分な優位を感じながら、近寄ります。
 そう言った瞬間でした。
「え?いや、だめ!ああ!出しちゃいやあ!」
 男の腰がガクガクと動いていたのです。
 それは、快感のためというより、何かの生理作用かもしれません。
 男は、私の目の前で、妻の中に、もう何度目かもわからない男の精を、深々と差し込んだまま出してしまったのです。
 胎内のしわぶきを感じた妻が、夫の目の前で精を注ぎ込まれることを懸命に拒否しても、遅すぎました。
 それまで、男の背中にまわされていた妻の左手が、懸命に突っ張りましたが、男が出し終わる方が早かったようでした。
 この放出は、男にとっても意外だったのかもしれません。
 素早く、それでもたっぷりと出した後、妻からサッと抜き去って、私に向かった瞬間は、まだ、先端から、たらたらと、粘りけのある液体をこぼしていたのです。
 男が妻の美肉から抜き去った瞬間、ツッと白い糸を引いたのも見えました。
 その瞬間、不意を突いて、精神的に優位に立ったはずの私も、自分の心を制御できなくなっていたのです。
「てめぇ!」
 怒りは、冷静な勝負に禁物でした。
 本来、こんな時は、突き一発で決めなくてはならないのに、大上段に振りかぶりながら、私の竹刀は男の額を狙ってしまったのです。
普段の私なら、あるいは、それでも何とかなったかもしれません。
 しかし、握力どころか、手首の感覚もままならない私が、大きく振りかぶってしまった時点で当たるわけはなくなります。
一撃を、簡単にサイドステップでかわされてしまうと、竹刀を手首で絞って停めることができません。
「痛い!」
 普段だったらありえないことに、止めたはずの竹刀は、大きく流れて、妻の左足首をしたたかに打ち据えてしまったのです。
「すまん!」
 一瞬うろたえたスキを、男は見逃しません。
 流れるようなフットワークで、一気に間隔を詰めてきます。
 とっさに、竹刀の柄で、顔の前を防御するだけで精一杯でした。
「ごふっ」
 何も入っていないはずの胃に強烈な一発を食らい、酸っぱいモノが、喉まで逆流します。
 腹をとっさにかばおうと手が下がった瞬間、今度は右の頬に強烈な拳が襲って、私は、身体ごと後ろに倒れ込みます。
半ば無意識のうちに、倒れ込むことで、パンチの威力を減殺していたのです。
「どうやら、あいつらを片付けたのはまぐれだったみたいだな」
 ガムテープで竹刀に巻きつけた左手を見ながら、あざ笑ったのです。





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悪夢 その76
ハジ 9/1(土) 05:13:58 No.20070901051358 削除
「そこです。その場面―――」

 突然の羽生の鋭い声に私はとっさには反応できませんでした。しかし、画面から目を離せなかったことが幸いしたようです。
 妻の変化に私が気づいたのは、このときがはじめてでした。



 少年たちの放った火はそれ以上は大きくはなりませんでした。もともとそうだったのか、熱のためなのか、廃缶はその長方形のシルエットをいびつに歪め、黒ずんでみえました。パチパチと時折爆ぜる炎がその上で人間たちの罪業を照らすかのように踊り狂います。
 業火の先で―――焼かれるように交わる二人。
 男と女のせめぎ合いはクライマックスを迎えるようでした。

「元気な弟を生んでやれよ。そうしたら、浩志は―――」

 若さと勢いにまかせていた大きな腰のうねりはやがて小刻みに高速の度合いを増していきました。それに合わせるように、つながった白い肌がたわみ、跳ねます。
 そして、妻の手が男の首にかかり―――

 ウッと唸りを上げると、男は秋穂に身を預けました。そして、そのまま、動きを止めました。何かを待つように、何かに耐えるように。
 その瞬間を妻は目を見開いたまま迎えました。まばたきすらせずに。

「ちくしょう―――ざまあ、みろ」

 そう言い残して少年―――シャックは少々物足りなげに妻の中で果てました。尻のあたりがヒクヒクと震え、時折窪みをのぞかせます。
 それがおさまっても、シャックはしばらく秋穂から離れませんでした。そして、未練がましく腰を動かします。それほどまでに深い愉悦を味わったのでしょうか。
 ひとり時間が止まったようかのような状態の妻の上に、少年はなおもとどまりつづけました。この世で一番安心できる場所をみつけたように。

それでも、やがて脱力した少年が秋穂の上からフレームアウトすると、彼女の姿があらわになりました。
 夜に白く浮き上がっていた肢体は、いつのまにか、その濃い闇に同化していました。そして、敗残の兆しをはっきりと、そのからだに刻んでいます。
 
 秋穂の脚のつけ根付近にまで、その白い爪跡はあふれ出していました。

「お気づきになりましたか」

 羽生の―――ひとの心を鷲?むような声が耳を打ちました。静かでいて、しかし、耳の奥をざわつかせる―――。
 私はああ、とだけ返事をしました。私の後ろで、彼は見えない唇を歪めました。

「キーワードは浩志―――お子さんの名前です」
「――――――」
「この言葉の前と後での奥さんの変わりよう―――実は簡単に説明がつくのです」

 私は大きく息を吸い込みました。私の血液の流れを急き立てるように、その声は聞こえてきます。

「我々の世界では、これを“条件づけ”と呼びます。ごく初期のテクニックです」
「条件づけ―――」

 私はもう一度、その言葉をつぶやきました。

 残りの少年たちが妻に群がりはじめました。今度は同時に三人を相手にするようです。
 昏い空の下、宴はつづきます。



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